家を継ぐ

東京の神楽坂の一軒家にカウンセリングルームを移転させて早、一年。

時折、外に出て伸びをすると
何やら白い羽のようなものが飛んでいるのに毎回出会っておりました

今は季節も夏に差し掛かるので
居なくなりましたが

これは雪虫と呼ばれる白い綿のようなものを背負った虫であります

空中をフワフワと雪のように漂うので
『しろばんば』とも呼ばれている虫

 

これを見ると、私はいつもあるお話を思い出します

それは
『しろばんば』というお話

井上靖の自伝小説で傑作と言われているもので
教科書にも載っていたことがあるそう

私もこれを小学校の時に、家にある文学集の中で
読んだことがあったのだが

数ある文学集の中でも、この『しろばんば』は異彩を放っているというか

読んでいて
目の前にその情景が深く浮かぶ感覚を楽しんで読んでおりました

 

ーーーーー

 

登場人物は
本人役として『浩作少年』
そして浩作少年を養育するのが血の繋がりがない『おぬい婆さん』であります

おぬい婆さんは
浩作の義理の曽祖父の妾であって

曽祖父は妾であったおぬい婆さんのことをも
一応は住む場所を与え、そして居場所を作ったのだが
いかんせん正妻がいる村でのこと。

それでも曽祖父が生きていた頃はまだおぬい婆さんも堂々としていたのかもしれないが

曽祖父が死んだ後は
いくところもなく
用意された家での暮らしをするしかなく

厄介者としての扱いを村中から受けるのだが

 

おぬい婆さんのすごいところは
なんというか、偉そうなのだ

愛されたからなのか、なんなのか

村中から煙たがられても
自己主張がすごく

そして本家のことを罵り、軽蔑し、こけおろす

そんなおぬい婆さんの育てられることになってしまった浩作は
毎日のように
おぬい婆さんの鬱憤と憤慨を聞くのだが

 

おぬい婆さんのいうことが
正しいとも思えない

むしろ『言い過ぎだよ・・』みたいな
洪作自身も辟易している様子もあり

おぬい婆さんのみている世界と
主人公がみてる世界とが
微妙に食い違うところがまたリアルで面白いところなのだが

舞台は伊豆の天城山らへんの農村で
そこらあたりは非常に『本家 分家』の意識が強く

その村での大人の差別意識や
血の繋がりでの囲い込みの感覚などが

子供に徐々に浸透してくるところや

如何ともし難い、家父長制で虐げられる立場の情緒などが
これでもかというくらいに
繰り広げられていくのだけれども

 

でも全般的に『淡く 侘しく 静かな農村の色』と

子供たちの残酷な無邪気さや
無鉄砲な明るい色合いと

それを律する大人たちの断固とした階級意識と
自分より格下だと思っている人間を容赦なく切り捨てる感じと

そしておぬい婆さんの、茶色く、どうしようもない
しがらみと悔しさと、それをどうにかして鬱憤を晴らすことで
自分を報いたいという願望が
眉を顰めたくなるような色合いを帯びていて

ものすごく色彩が豊かな小説なのだけれども

 

この、独特のこの色合いの場面が
クライエント様のカウンセリングをしているときにも
ぶわーーと目の前に広がる時があります

それはどういう時かというと
やはり家父長制からなるトラウマを家系として持っている方の
カウンセリングの時です

特に戦中、戦後の祖父祖母がいらっしゃる方のトラウマを
お聞きしているとこの感覚になります

 

私の母方の祖母も戦中の人間でしたが
この時代の方々というのは
やはり家柄などを『誉れ』としている方が多く
そして
それが『誉れ』であればあるほど
子孫にそれを継承しようとするようです

祖母はよく、『うちは世が世ならお殿様の家柄なんだから』
と言っていて

小さな私は『あほくさ』と思っていたので
それが顔に出て
よく怒られていたけれども

他の親戚たちは、それを言われると
急に静かになるというか
いきなり思案げな顔つきになることが不思議でなりませんでした

世が世なら・・って
今の時代はもう違うのに

いまだに『お家柄』を誉れとするその気持ちは
おそらく
その誉れを感じた時に、何か気持ちが良いんだろうなあ
とくらいにしか思っていなかったが

 

でも実際にカウンセリングをしていると

その『誉れの快感』をまだ色濃く、不本意ながらも
引き継いできたお家の方がたにお会いします

もしくは
虐げられてきた方々の家系にもお会いしますが
こちらもこちらで
結局のところ『お家柄』などへの鬱屈した感情に支配されているので

詰まるところ
『家柄』というものが
この日本ではまだ根っこの方で『階級意識』として
生きながらえているのだなと感じるのです

 

 

また他にも
よく出会うのものの特徴として
『生まれた場所コンプレックス』というものもあるような気がします

昔の時代劇などでよくありましたが

『京にのぼって』とか『江戸にのぼって』など
この土地ではなく
都に行けば、自分も『その一員』となる・・みたいな感じなのでしょうか

土地柄のコンプレックスというのは
若者にも多くみられますが

でも近年の動きとしては
都会よりも、土に触りながら生活をしたいという人たちも
多く出てきたという感じもします

時代劇を見ていて
家柄だとか、生まれだとかは
昔の考え方なのかと思っていましたが

どうやら今の時代にもまだ濃く伝えられているのだなあと感じます

 

ーーーーー少し話はずれますが

朝ドラのお話で恐縮なのですが
『虎に翼』の中で
主人公(女性)が、戦争で伴侶や家族を失い
そして自分が家族という単位を背負って行かねばとならなくなり

また、自分が身籠って『母親』になり

とその人(主人公)を取り巻く環境が変化したのだが

恐らく、その環境からの影響で
以前の奔放な性格が、なりを潜めてしまい

なんだか思っていることを言えない・・
という場面が今続いているのですが

この『環境がその人の表現性(性格)を変化させてしまう』
ということはカウンセリングでもよく見られます

それの究極の形が
心的外傷による心が固まってしまった状態・・だとかあるのですが

性格というものや
その人個人の表現というものは

家族や、属している組織や、環境とやらで
ずいぶんと形を変えてしまうのだな・・と感じるのです

誰かの思いを背負っていたり

誰かに対して責任を持っていたりすると

それは
その人らしさみたいなものを少し変化させてしまうところは
誰にもでも充分にあることなのです

 

なのでカウンセリングでは
いらした方、その人だけの問題で
その方が困っているということにあまりでくわさないのです

どちらかというと
両親から背負わされてしまっていたり
環境だったり
組織だったりから

『こう、あってくれ』
・・みたいなものを背負わされて

結果、がんじがらめになってしまい
自分でも自分が何をすればいいのかわからない

考えて行動しても叱責されたりする

期待に沿わないとがっかりされる

など
『恐怖ベース』の生活を余儀なくされて
心が疲れてしまっている方をよく見るのです

原因を・・と探っていくと

原因の、また原因を・・となり

結局行き着くのが
家父長制だったり
戦争だったり
資本主義だったり
宗教観だったり

と、なかなか難しいところなのです

 

詰まるところ、自分の苦しみの根源のようなものにたどり着いた時に
どうすればいいのかというと

その苦しみを『持てる』くらいの自分の『器』を大きくする必要があり

その器は
・個人的充足な体験を多く持つ
・感覚、体験を共感し合える他者を持つ
・歴史を知る
・先人の知恵を拝借して、自分に当てはめていく

などで器を大きくするのが一番いいのかなと考えています

 

誰かを、思い切り責められたらいいのだけれども

最後の最後に辿り着いた、その責めたい対象が
大きな大きな黒い『群衆』だったりすることが多く

そうすると厭世的になったり、世を儚んだりすることでしか心を守れなくなるということがあります

 

カウンセリングでは
具体的な方法を多くお伝えして

大切なかけがえのない『自分の感覚』を守る方法を
これでもかというくらいお伝えしています

   

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