
本当はまなざしのブログを出したのだけど
今日は、少し寄り道するのもいいかと、箸休め的なブログにします
クライエント様たちからの要望や
こうなりたいとお聞きする中に少しのズレがある事があります
それは『自分の中の穴を埋めたい』という
とても体感的な感覚を訴えられることです
この穴があるから、どこか不安で心許ないーーと
おっしゃられる
しかし、もしかしたら
その穴は埋めるものではない部分かもしれない
ーーーーーーそんなことを少し思うお話を
今日はしたいと思います
(もちろん埋める処置が必要な部分もありますが
それはまた別のお話として)
今回その『穴』もしくは『欠け』として出てくる感覚の
代表格として『ノスタルジー』の感覚を感じてみたいと思います
ノスタルジーは日本語で『郷愁』とも訳されます
昔の、今は戻れない場所・・みたいな感じかもしれません
しかしノスタルジーは
単なる懐かしさではないのです
それは
すでに知っているはずなのに触れきれないものに
一瞬だけ触れてしまう感覚です
音楽を聴いたとき
ふとした匂いに触れたとき
季節の空気の中にいるとき
説明できないのに
懐かしさが広がり
どこかへ戻れそうな感じがする
⸻
しかし同時に
少しの不安
落ち着かなさ
取り残されるような感覚
も
一緒に現れる
⸻
快と不快が同時に存在する
この矛盾がノスタルジーの特徴です
ノスタルジーは記憶ではありません
ノスタルジーは
過去の出来事を思い出しているようでいて、
実際にはそれとは少し違います
具体的な場面が出てこないこともある
しかし確かに知っている感じがある
⸻
これは
出来事の記憶ではなく
体感として保存されていたものが
再び動き出している状態です
つまり
ノスタルジーとは
自分の中にしまわれていた感覚の層があるきっかけで開いてしまう現象です
ラカンの視点から言えば
ノスタルジーは
『失われた対象に触れたときに起きる感覚』と考えられます
ここでいう対象とは
実際に存在するものではありません
それは
何かが足りないという感覚であり
しかしそれが何かは特定できないものです
ラカンはこれを
人の中にある「欠け」として捉えました
欠けとは
単に何かが不足しているという意味ではありません
それは
『最初から完全ではありえない』という
人の構造そのものです
人は
すべて満たされることはなく
常に何かが足りない状態で生きています
しかし普段は
言葉や日常によって
その欠けは見えにくくなっている
ところが
音や匂いのように
言葉を通らない感覚が入ると
その覆いが一瞬外れて
欠けそのものがむき出しになる
これが
ノスタルジーのときに起きていることです
なぜ音や匂いで蘇るのかということですが
音や嗅覚は意味より先に身体に入ってくる感覚です
反対に、言葉は分類し、説明し、距離を作る
しかし
音や匂いは直接触れてしまう
その結果
まだ言葉になっていない体験や
形を持たない感情が一気に動き出すのです
それは
風景や空気のようなイメージとして
立ち上がることもあるし
ただの体感として広がることもあります
ノスタルジーの快と不快
ノスタルジーが不思議なのは
気持ちよさだけで終わらないことです
そこには必ず
少しの不快が混ざる
それは
触れている感覚があるのに
完全には触れられないからです
近づいているのに届かない
このズレが
心地よさと同時に
切なさや不安を生む
つまり
ノスタルジーとは
欠けに触れながらも
それを埋められない状態です
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さて、私がひどくノスタルジーを感じるのが
首都圏のJRの発車メロディーです
もし思い出せないかたはこちら↓(youtubeからお借りしました 貴重な音源です)
首都圏のJRの発車メロディーは駅ごと、発車番線ごと
路線ごとに分かれていて、とても多く存在していました
私は当時、横浜駅の近くに住んでいたので
毎日のように聴いていたメロディーです
あのメロディーは、平成の曲と言ってもいいかもなと思うメロディーです
2000年頃は、駅では、もうお馴染みになり
どの駅に着いたか、どの電車が発車するのか、などを
あのメロディーで把握してホームに走っていってたなあ・・
なんかが思い出されます
そしてこのメロディーはこの2年ほどでほとんどが廃止されてきています
この発車メロディーは実にたくさんの曲があります
そして曲ごとに
『ああ、あの駅だ』『あの時行ったな』なんて、
曲から思い出せるもので
でも、その当時は気にも留めなかったものでした
発車メロディーは
短く
繰り返され
完全に収束しないような余韻があります
そして日常の中に何度も現れるものです
多くの人がこのメロディーを聴きながら
いろいろな考えをしながら
道を急ぎながら
でもこのメロディーは必ずそこにいた人の背景に在ったものでした
意味としては
出発や移動を知らせる音であるにもかかわらず
体感としては
切り替わる感じ
置いていかれる感じ
もう戻れない感じ
次に出発する感じ
が同時に含まれている音楽です
そして、駅のあの場には
行く人
見送る人
辿り着いた人
ただそこにいる人
複数の時間と
立場と、見知らぬ人と、知っている人とが重なっている
そのため
特定の思い出がなくても懐かしさが立ち上がる
それは
懐かしい喧騒と共に
自分の中にある風景が
音によって開かれているからです
そして同時に
何かが始まっているのだが
何かが終わってしまっている
しかしどちらも完全には回収されない
この構造が
人間の構造の中の
精神分析でいう、『欠け』に触れる体験を生み出すのです
だからあの音は
心地よさと同時に
わずかな不安や切なさを伴う
ちなみにノスタルジーは子どもの頃に限りません
それは体感の密度が高かった時間に由来します
自分が何かを強く感じていた
境界が揺れていた
生きている実感があった
そうした時間は
記憶ではなく体感として保存されるものです
そして
何かのきっかけで
現在に重なって現れる
ノスタルジーとは過去への回帰ではありません
それは
現在に現れる欠けの反響です
人は
何かを求め続ける存在です
その求める動きの根底には欠けがあります
ノスタルジーはその欠けに一瞬触れる体験です
最後に
ノスタルジーとは何かのまとめとして
それは
しまわれていた体感が
ある瞬間に開いてしまう出来事であり
同時に
触れられないものに触れてしまったときの感覚です
だからこそ
心地よさと不安が同時に存在する
それは
人が完全ではなく
欠けを持って生きているということを
静かに示している感覚です







