秘密 

「秘密」は、単に“隠された情報”ではありません
むしろ、

* 主体そのものを成立させるもの 
* 欲望を動かす空白
* 言葉にならない核

として扱われています

カウンセリングでは 
「人は自分自身にも秘密を持っている」
という構造を見ています

つまり、

「隠しているから秘密」ではなく、
“主体はそもそも、自分を完全には知れない”

という前提です

特にラカンは
「無意識は他者の言説である」

という有名な言葉があります

これは、

自分が「自分の意志」だと思っているものの中に、
他者の欲望・家族の構造・言葉・期待が入り込んでいる

という意味です

だから秘密とは、

「言っていないこと」

だけではなく、

「本人も知らないまま抱えているもの」

でもあります 

例えば臨床では、

* なぜか繰り返してしまう
* なぜか怒る
* なぜか惹かれる
* なぜか壊す
* なぜか相手を支配したくなる

こういうものが、
“主体の秘密”として現れます 

しかも本人は、
最初それを「秘密」と認識していない

むしろ、

「正しいこと」
「善意」
「愛」
「教育」
「配慮」

として表面化していることすらある

そこには 

* “善意の中の加虐”
* “相手の中へ入り込みたい触手”
* “矯正の快感”
* “飲み込み”
* “自分は正しい側に立ちながら侵入する構造”

これはかなりラカン的には、
「主体自身が知らない欲望の秘密」

として扱われる領域です

そしてこの領域は
かなり面白い構造をしている 

ラカンはまた、
秘密を「享楽(ジュイサンス)」とも深く結びつけています。

人は、
苦しんでいるだけではなく、

そこに“何かの快”がある。

でもそれは、
道徳的な意味での快楽ではなく、

* 反復
* 興奮
* 支配
* 被害者位置
* 崇高さ
* 犠牲
* 正しさ
* 侵入

などに結びついていることがある。

そして主体は、
その“秘密の享楽”を守ろうとする。

だから分析では、
秘密を暴露すること自体が目的ではない。

むしろ、

「自分は何に巻き込まれていたのか」
「何を快としていたのか」
「何を繰り返していたのか」

を、“主体が耐えられる形”で見ていく。

あとラカンは、
「秘密(他者自身が自分を知らないから)
があるから欲望が生まれる」

とも見ていました

全部が透明で、
完全に理解され、
完全に共有された世界では、

欲望は消滅します 

だから人間関係において、
“わからなさ”
“届かなさ”
“他者の不可侵性”

は実は重要だと感じています

私は

「相手の中に入ってはいけないラインがある」
「触れてはいけない核がある」
「心は掴むものではない」

という感覚を持ちます

もうこれは、意識で考えているというより
自分の中の、不可侵条約のようなものです

これは、この『触れられないものがある』からこそ
他人と関わりを持ってみたいという欲望が出るからです

なので
『触れないこと』は
イコール
自分の中にも
そして相手にも『余白』を残しておくということ 

相手との関わりで
創り上げられていくものを、楽しみに待つという醍醐味でもあります 

ラカンは最終的に

「愛とは、
 自分が持っていないものを、
 存在しない相手に与えることである」

という有名な言葉を残しています

持っていないものを
与える

これはすごい言葉です

でも、これは
ある意味トラウマを抱えた人
そして虐待に遭った人に対して

すごい光のような言葉です

自分はもらえなかった

だからわからない
でも、自分の中が欠けたまま、相手に差し出す 

それでも、差し出そうとする時
人は『愛』のようなものに触れるのかもしれない 

ということだとラカンはいうのです

虐待を受けてきた人が、
他人に、受けてきた加害をしない ということは

実はものすごい『温かな心』なのです 

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また、そのままストレートに解釈すれば

『人は他者を完全には知れないし、
完全には所有できない

その“不可能性”を抱えたまま、
それでも関わろうとする
そこに愛がある』

ということでもあります

だから逆に

「秘密を消す」
「全部わかる」
「完全に入り込む」
「完全に理解する」

方向へ行く時
ラカンはしばしばそこに
支配や享楽の危険を見ていました

なので
秘密は、あっていいものだと思っています 

私にも

そして 
あなたにも