トラウマの箱が開いてしまう

トラウマ治療の中で
『何か自分だけでできることはありますか』と尋ねられることがああります

そういう時は『座禅や瞑想』なんかがいいと答える時もあります

座禅
瞑想

瞑想とは頭に浮かぶ雑念を追い払って
ただ『あるがまま』を体感することで心の中にある葛藤や苦しみから
距離を置けるようになることです

瞑想のやり方というものは
本当に多岐に渡るといいますか

瞑想中に唱える曼荼羅が存在する流儀とかもあるし
ただ何も考えないという方法もあります

マインドフルネスなんかも瞑想の一種ですし

先に言いました『座禅』も瞑想の一種の方法と言えます

座禅をもちいて悟りを開くことを教えているのが臨済宗で
座禅すること自体を主とするのが曹洞宗です

私もほんの少し瞑想を教えていただいたことが有りますが
皆それぞれ独自の世界観でした

ただその同時の世界観が故に
合わないと思うところがあったのも事実で

曼荼羅とかを唱えるところは私とはあまり相性がよくなくて

どちらかというと
座禅の流派でやる『ただ何もしない』という方法が一番しょうにあっていた気がします

トラウマ治療の途中で
どうしても超えるには『自分の中の壁』を突破しなければならないという時が来ます

トラウマにより出来上がってしまった罪悪感を手放す時です

罪悪感って
本当にこびりついているのが特徴で

あることすら普段から気づかないくらい自然な前提になっているものです

なんなら罪悪感は『他人も自分も裁く』側面を持っているので
持っていると自分が高尚になった気分をも味わえたりします 

だからこそとても強固

それを取ることって
トラウマ治療でもお手伝いをするのですが

最後は自分自身が
その『罪悪感に不快感を感じること』が突破の鍵なのです

先に申し上げた私自身が相性がよかった瞑想法は座禅の『ただ何もしない』という方法でしたが
これがよかったのには訳があります

なぜなら
ぼーっとしていると
自分を裁く声とか苦しみみたいなのが湧いてくるからです

それはもう苦しくて仕方なくて
瞑想中に脂汗が出てきます

何もしない、ただボーっとするがこんなにも自分には困難なのか・・と
絶望的な気分にもなったりします

他の人たちに訊いてみても
『瞑想って気持ちいいよ』とか
『スッキリする』など
ポジティブな返ししかなく

自分だけがこんなにも瞑想が向いてないのはなぜなんだろうと思う訳です

しかしここもポイント

普段どれだけの罪悪感を抱えて生きているか・・が瞑想中には出てきます

トラウマもちの人々は生きている中で
不快な感覚は押し込めて生きています

今にも開きそうなパンドラの箱を必死で力づくで
毎日抑え込んでいるような状態です

瞑想の『何もしない』という状態は
その箱を抑えることすらしないという状態に自分がなる訳なのですから

そりゃあしんどいのです

普段感じまい。。としていることが怒涛のように襲ってくる

私の瞑想の始まりは困難でした

しかし時間を置いたり
またやり戻ったりする中で

私は少しずつ瞑想のパターンを掴んでいきました

『何もしない』という工程の後
出てくる怒涛の苦しみみたいなものを
ただ感じていると

そのうちに声みたいなのが響いてくることがあります

それが自分を解放する言葉

私の場合は『生きていたいと思っていい』ということばでした

怒涛の苦しみの中瞑想していると
そこに対して響く声は
『生きていたいと思っていい』でした

その瞬間
その言葉は魔法のように私の頭の締め付けを緩ませ

呼吸が楽になったのです

私は幼少期『しね』と言われてきたので
それを間に受けて生きてきたところがありました

生きる価値がないのだと思い
『生きたい』と思うことすら
罪なのだと思っていたのだな・・とやっとその瞬間に気付いたのです

瞑想はこのように
自分でトラウマやら罪悪感にアプローチできる方法でもあります

ただ PTSDが重い人 統合失調症などで幻聴が聴こえる人 などは

瞑想をすることで圧倒される感覚になる方もいます

そういう場合は無理せず中止してください

カウンセリング中でも瞑想の仕方をお教えすることもあります

安全に瞑想ができるところまで(自分の状態を)もっていきたいという方にもカウンセリングをおすすめします

   

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