浮かぶもの

自分が
私自身が
初めて「女性差別」に気づいたのはどういったことだったのだろうか

 

正直、私の中で『女性差別』というのを明確に感じたことというのは
ここ数年までありませんでした
・・というより分かっていなかった

私の師であるスーパーバイザーに心理と精神世界のことを教わっていた時に
この先の道を示された時に
『第三次フェミニズムを目指しなさい』と言われたのだけれども

言われた時にすら
『フェミニズムって??』という有様

(なんか、あのヒッピーとかの80年代の時代に
言われ始めた言葉だっけ)

というような、浅はかな理解しか無かった
(しかも微妙に間違えていたし)

 

むしろフェミニズムって
『怒れる女性たち』というイメージで怖い

(対立するより、仲良くした方がいーじゃん)と思っていて

先生から言われた時に
『何となく、それ めんどくさい』と思った

その時の私の顔と言ったら、多分、間延びしていた顔だったに違いない

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確かに私のそれまで生きてきた人生の中で、『はて』と思うことはあった

夫の会社の飲み会に行くと必ず
『今日のパンツ何色』と訊かれること

夫の会社の組合の人たちは『家族のために戦う』と言いながら
朝まで飲んだくれていること

『男の仕事』と『女の仕事』というものがあるらしく
女の仕事は『家族の維持をすること』
だから夫には逆らわないようにするのが賢明らしいという事

男たちは戦争反対のデモをした後に
男だけで飲んだくれて
妻と子供との対話をしないこと

つまらない男のつまらない話を聞いていなくてはならないこと
(聞かないとあいつは分かってないと陰口を叩かれること)

母が、父が帰ってくるまで起きて待っていること
・・そして帰ってきたら温かいご飯をそこから作ること

 

後は
何故嫌だったのかその時は分からなかったが

前の夫の愛読書だった『サラリーマン金太郎』を読むたびに
反吐が出たこと(あまりにイライラするので捨てた)

『課長島耕作』も
何が面白いのか分からなかった(父の愛読書だった)

男に気に入られて『一人前』みたいな女性像

もしくは
男性のように振る舞い
男と一緒になって、女性を馬鹿にする女性もいて不思議だった
・・すごく権力者のように振る舞う姿が不思議だった

 

何もかもが不思議で
分からなかった

パワーバランスが
どこからどのように流れて
存在しているのか、

当時の私は言語化できなかったけども
でも、感じていたことは確かだった

けれども、それに明確な『言葉』が無かったから

『概念』が無かったから
私は自分の違和感と『もやもや』をそのまま温存していた時に

先生から言われたのだ

『次のフェミニズムを目指しなさい』と

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はて?と思いながらも
その時に私は瞬時に考えたのだ

先生の言葉の使い方は面白いので
一字一句記憶しているのだが

先生は『目指しなさい』と言ったのだ

(目指しなさいということは、それは『遠く』にあるということか)

フェミニズムでいなさい
とか
フェミニズムを学びなさい

とかではなく

『目指しなさい』という言葉を使った師は
ここでも少しの催眠を入れたのだ(いつも先生はこういう一つ一つの言葉の使い方が絶妙なのだが)

道は無きところだが
到達点をしっかり見据えて そこに到ることを目標としなさい と

 

それは
もしかしたら、と私も思う

私の時代では到達できないところかもしれない

けども、しっかりそこを見定めて進むことは
次の世代の道標になるかもしれない

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私は20歳で恋愛結婚をして、そして何十年か連れ添い、そして別れた

今ではそんなことはよく在る話で
あちらこちらでもよく聞く

しかし、ひと昔前までは『恋愛結婚』はなかなかに難しいものでしたし
別れるのも一苦労でした

私の苦手な映画はディズニー映画の
とくにプリンセス系なのですが

王子様が幸せにしてくれる・・みたいな物語はめっちゃ危険!と思っていました

物語の最後の『幸せに暮らしましたとさ』の後が知りたいと
本気で思って、色々な本を読み漁りました

 

世界の色々な童話や物語から学んだこととしては
『賢く在ること』ということが非常に大切なのだとも学びました

賢い とは
『自分で考えて行動できること』
『分からないことをそのままにしておかないこと』
『いつも疑問を持つこと』
『鵜呑みにしないこと』

などなどですが
今もそれを目指すスタンスは変わっていない

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だから先生から『フェミニズムを目指しなさい』と言われた時に
ぽかんとしたのとともに

すごくめんどくさい気分にもなったのは正直な気持ちです

『あゝ ここを見なくてはならないのか』と

色々と色々な記憶と
言語化できなかったことが紙芝居のようにパラパラとめくれてきたのだ

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まだ昭和の生まれで
しかも幼少期がバブル期真っ最中だった私は

女性は男性に従属した方が幸せだという世界だったので
そう教え込まれてきたのだが

父は、いっぷう変わっていて
そこだけは違ったのが救いだったかもしれない

『1人でも生きていけるようにしろ』と
生きるための心得みたいなものを教えてくれていた

その一つとして
今の自分に非常に役に立っているのは
『調べ方について』だった

分からないということに対してのアプローチと対処法は
何回も何回も教え込まれたのを覚えている

父は
自分の母親をみていて
弱い女性のしんどさを知っていたので
そうはなるなと『強さ』を教えてくれたが

でも結局、弱い女性に搾取されるような男だった

哲学をこよなく愛するインテリは
自らは、何かを目指すというよりも
時代に呑まれていったようだが

でも彼も、私に『目指すべきもの』みたいなものを指して

そして居なくなった

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そこから派生して
私は自分の考え方みたいなものも発展させてきました

『できないこと』というものにぶつかった時に
どうそれに対応するかということ

 

私はその『できないこと』を因数分解することをお勧めします

例えば
『外に出かけられない』
ということができないとします

そしたらその『できない』ということを分解していくのです

まずは『外』ということから分解します

外とはどこからを『外』というのか
家の玄関からを外と認識しているのか
それとも部屋のドアなのか

人に出会う可能性があるから外と思っているのか

誰にも出会わなければ『外』という感覚は薄まるか

『時間』は関係しているか

『昼の外』と『夜の外』は同じ感覚がするか

など
自分の中の『ぼんやりした大きなイメージ』を細かく分解していくのです

そんなことをしていると
『小さく折り畳まれた 如何ともし難い部分』というのが分かってきます

ほとんどは『生理的な感覚的』のものなので
それ以上分解できないです

そこまできたら、その部分を介入で浄化するか解消するか

もしくは避けるか
などの対処法を考えるのです

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そこで先の話に戻るのだけれども
このフェミニズムの話というのは因数分解をしてどんどん突き詰めると

根本的な『生理的嫌悪感』のようなものにぶつかるということが多い気がします

それは『性的嫌悪感』とも言えるのかもしれませんが

その『嫌悪感』というものは
『一体感』との対をなす物で

今の所の私の結論としては

今のこの時代は
このフェミニズムの問題が出てくることは『必然』だった気がします

『産めよ増やせよ』というところに
人類的無意識の大きなうねりが
何か動きをなしているような感覚があります

難しい時代に生きていますね

   

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