母親からの嫉妬

よく見るパターンとして
娘が母親に嫉妬されて育つと、娘は女性として成熟することをやめてしまう

これ、本当にそうで

娘は大人になっても、どこか幼げな話し方をすると言いますか
儚げで 
こちらとしては
まるで小学生とお話しているような気持ちにさせられます

おそらく
母親から娘へかける嫉妬の炎っていうものは
娘にとっては、とても恐怖で

そして娘は賢いので
『自分の何に嫉妬されているのか』を感覚で探し当て

それは『女性としての成熟』だと察知するや否や

女性として成熟することを
そうそうに諦めているというか
どこか未だに少女のような面影を残す様子は

『あなたには手向かいません』

母親に両手を挙げているようです

幼さを残したトラウマもちの娘さんたちに
『どんな母親でしたか?』と尋ねると

それはもう聞くに耐えない惨い仕打ちをされている

舌打ちがしょっちゅうだったとか

いつも睨まれていたとか

殴られていたとか

意地悪されていたとか

『あんたのせいだ』と八つ当たりをされていたとか

とかく
半端ない母親の傍若無人であります

けども一定数
『私は母親にそんなことをされていない』と母親を擁護する娘さんもいらっしゃいます

しかし、介入を進め
無意識下にあった『感覚』を掘り起こしていくと

大粒の涙を流して

『お母さんが怖かった』と言う

怖さのあまり、母親が怖いという状況を否認して
『私の母親は普通だったから・・』と
思い込もうとしている姿は
痛々しいところがああります

さて
一方的の母親の方に目を向けてみると
私が受け取るイメージですが

母親は『ただの女性』なのですよね

本当に普通の女性

愛されたくて
チヤホヤされたくて
利己的で
自分が一番

私は一番の悲劇だなと思うのは
女性は子供を産んだからと言って
すぐ『母親になれるわけではない』と言う事実です

なのに世間は『産んですぐに母親になれる』というプレッシャーをかけます 

肉体的というか 物理的には『子持ち』と言う『母親』の役割を得ることはできますが

時間が経つにつれて
情緒的に『母親』になっていくものなので 

もちろん女性は子供を産んでも
『女性』としての感覚を持っています

今の時代でも
『母親』であっても女性を諦めない!みたいな雑誌はよく在って

女性は子供を産んだ後
その後の自分の『在りどころ』を模索します

『在りどころ』とは『自分の存在意義』みたいなものです

子供が生まれたばかりだと
やれ授乳だ やれおむつだ と
子供に振り回される日々が急に始まるので

自分の存在意義みたいなものが
『子供に取って代わられた』ように感じるのは自然なことなのかもしれません

私も実際
『自分の時代』が、急に娘の出現により
『娘(女性)としての自分の在り方』みたいなものが消失した感覚はありました

ただそこで多くの『母親』は踏ん張ります

なんとか助けをもらったりして
自分の中の『女性』と『母親』としてのバランスのちょうどいいところを模索しつつ
『在り方』を探っていく時期です

しかしここで
つまづいてしまう女性が多いのも事実です

どうしても『母親』の役割を担えない
なんで自分が振り回されるのか納得いかない
理由もなくイライラする

もちろんホルモンのバランスもありましょうが

女性がいきなり『母親』になるのはかなりのストレスを負うものです

しかも自分自身の『女性』を諦めたくない

そんな時に自分の一番近くに
『自分に愛を求めてくる存在』がいた時に

その女性は選択を迫られます

自分の中の女性を引っ込めるか
自分の中から母性を引っ張り出すか
どうバランスを取るか

その中でバランスがとりきれない人は

娘への風当たりを強めるようになります

また『娘の存在』に頼って
『自分の女性としての栄光』を取り戻そうとする女性も多いです

自分が幼少期に出来なかったことをさせたりします

子供が嫌がっているのに
習い事を強要するなどもあります

これは『栄光を取り戻したい』と言う感覚からなされることが多いです

娘で『採算を取ろうとする』のです

そうすると
娘はもう自動的に成長を止めます

幼いままでいるようになり
母親からの『欲望や栄光への渇望』を受けないように必死に抵抗します

介入を進めていくと
多くの娘さんたちは美しくなっていきます

おしゃれを楽しみ始めたり

体型が変化されたりして女性らしくなっていきます

髪は艶やかになり
頬は薄紅色になり

透明感が増していきます

母親からの呪いが溶ける瞬間でもありますが

それをかけた母親も
同じ女性だったのだと言う『理解』を進めていく必要があります