『業』が怖い 

私の中の1番の恐怖というものの正体はわかっています

私は
『人が変わるということ』の物凄く恐怖心を持っています

人は日々
心の動きも変わるし
喜怒哀楽という変化もあるのはわかっています

それはいいのだ

私が怖いのは『洗脳される恐怖』です

その時代ごとの洗脳に人が染まるということが
怖くて怖くて仕方ない

第二次世界大戦のお話を
小学生の頃、よく与えられていました

はだしのゲンとか
火垂るの墓とか

戦争の体験談は読んだり聞いたりしていると気が遠くなる感覚があり

国語の教科書にも
戦争の話は割と載っていた

いまだにそれらの挿絵を覚えている 

私の世代は割と『戦争反対』の意志が強い世代で
それは まだ終戦から少ししか経っておらず
戦争を体験した世代が多く生きていた時代なので

テレビなんかも終戦記念日になると
こぞって戦争のドラマなんかを放映していたものだったけど

それから数十年経って
夏のテレビは変わってしまい
戦争のドキュメンタリーなんかも
まるで戦争を『別の世界の出来事』のように流すようになり

なんとなく戦争がリアルさを無くし

昔、あんなにすぐ隣にいたような感覚から
少しずつ距離ができてきたというか

それもそうだ

だって戦争の体験者が少なくなり
リアルな体感を持った人が少なくなったのだもの

ただ、私は幼少期に
戦争の体験を読んで
私の中にリアルな感覚を起こしてしまっていて

それは
『お国のため』と言いながら
人は人を攻撃できるという洗脳がその時代に蔓延っていたという恐怖

隣に住むオジサンやらが
『非国民』かどうかを監視して
お国に意志に叛くようなことをしていたら

鬼の首をとった!
みたいに憲兵にそれを言うとか

もう恐ろしくてたまらない

おそらく
自分の幼少期の周りの人々も
洗脳に似た要素を持っていたから尚更、私はそれが怖かったのだと思う

何かを『盲信』することで
人は夜叉にも鬼にも餓鬼にもなれる

というその『人間』の『業』のようなものが泣けるほどしんどいのだ

カウンセリングでもその『業』のようなものによく出くわします

『業』って
その人個人の『カルマ』『宿命』とかでないのですよ

『業』とは『世界から割り振られた役割』のようなものです

『役割』なので
もちろん世界や周りの影響を受けて、その『役割』は出現します

例えば戦争で洗脳されて
その人自身が『鬼』になってしまう・・とかですね

もちろん戦争から少し経った今でも
形を変えて
その『業』は出現します

例えば虐待されて
自分の中に『餓鬼』が育ってしまい
それが『鬼』となり

人との自然な交流を阻んでしまう

クライアント様を見ている時
私は究極的なその人自身を眺める目線を大事にしています

私は人の自然な『存在』に触れてみたい

それはどこまで行っても『無』というか
『光』からきているものなのだけども

ここの現世においてだと

どうしてか
『業』のせいなのか 

人はそんなに邪悪なものになりえて
人はそんなに悪どいものにもなりえて
人はそんなに奪い合うものにもなりえてしまってという場面を見ると

切なくて

どっかの和尚が『死んだら地獄に行くかもね』なんていっていたけど

むしろこの世の方が
よっぽど地獄よなと感じつついます

この地獄に世界をどう生きるか

どう自分自身を取り戻すか 

それはトラウマ治療において
私が究極的に目指すものでもあります

悪どいことを言っていても、やっていても
それは『業の為せること』だと思ってみています

カウンセリングの介入でよくやっているのは
その『業』から抜けだせるようなことをしています

どうかこの人に
一番いい恩恵がありますように

と祈る気持ちでいます 

(私は無宗教だけれども) 

クライアント様たちが自分に変化を感じられ、楽になってくるのは

その『業』から少し距離が置けるようになり
正気に戻り
自分自身で自分の手綱が弾けるような感覚を得れるからだと思っています

そして

『業』ってものを創り出した存在はすごいなあと 
ただ ただ、ため息が出るのです

   

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