侵されない世界

人間は 無力感というのが
非常に苦手なのではないかと思う

 

かくいう 私も この無力感というやつを
あまり 見たくはないし

出来れば感じたくはない

 

トラウマ治療をしていると
よく 皆さま この無力感というのが
キーワードになってたりして

自分の感覚を取り戻し

いざ 自分で何かを味わいに
生きていこうとなったときに

 

いややっぱり…と

 

無力という感覚を 味わいたくがない為に

今までの現状に甘んじる生きかた
を選択することになるかたもいる

なんで こんなに
無力ってのを 人間は怖がるのか
わからないのですが

恐らく

人間は 跳ね返るものがないと
自分を感じられないから

なのではないかと思っています

それが 他者からのレスポンスと
いうものを必要とする ということに
なるのでしょうが

最近

催眠の先生や 老師の話などを
自分なりに噛み砕いて

五臓六腑に落としこんでみますと

この 怖い怖い 無力感 こそが

自由になる鍵なんではないかと
漠然と思うようになりました

老師や 催眠の先生なんかは

自分てのを どれだけ捨てられるか


安心感 もしくは 魂の安定に
繋がると言う

 

…すっげー わからない

 

だったら
じゃあ自分てのは なんなんだ

と自分に問うと
不思議な感覚になるのですよね

例えば

自分の肉体は何となく
自分のものって 気がするけれど

という話から

それでは 私が今 貴方を認識している
私の中の貴方は 貴方ですか?

と 尋ねると

自分とは少し違うかもしれないと
大体の方は仰る

それでは

例えば…有名人でいきましょうか

私が見ている ○○先生 と
貴方が見ている ○○先生は 同じ人物ですか


尋ねると 皆さま 首をふって

いえ 別人ですね

と 仰る

では 貴方は 今 私 を見ていて

世界で 貴方と全く同じように
私を見ている人は いますか

と尋ねると

いえ 私の見ている貴方は 私だけしか
見られないのだと思います

と言う

 

そう 貴方が見ている世界は
貴方しか見られない

世界の誰からも 見ることは出来ない

すなわち
貴方の世界は 貴方だけのもの

そして 相手が見ている世界も相手しか
見られない

それが 平行世界のように
人間の数だけ
樹の数だけ
虫の数だけ
花の数だけ

星や 風や それらのもののぶんだけ
世界が存在するというのなら

私たちは 何を 奪いあっていたのだろうかと

私は思うのです

私の世界のなかで

奪いたいという人が
そんな表現をしているだけ

そう感じたらば
私は脳が変わってきたような感覚になりました

『自由が近いね』と
スーパーバイズに言われ

そこから 起きた数々の試練も
もしかしたら 私の世界の見方を変える
ただの表現に過ぎず

いらなかったら 捨てればよいし

思うところがあれば
拾いあげて 眺めてみればいいかなと
思うようになりました

 

今年は三月に
以前の勤務先であったカウンセリングルームを辞め

その次の日から
私自身のカウンセリングルームを開き

そして 今 こんなにも沢山の方々に
ご縁が出来るとは
想像しておりませんでした

この場を借りまして
皆さまにお礼と感謝を申し上げます

来年の私は
いよいよ 催眠を解いていくという催眠を
治療の軸にしていきます

 

今はもうこの世にいない
黒幕の黒幕

 

貴方のかけた催眠っていうのが
なんだったのか

私の師さえ 貴方は催眠にかけたのか

 

 

今年は ブログをお読み頂き
ありがとうございました

来年も どうぞ お楽しみいただけたらと
思っております

乙原