橋渡し

『老い』って怖いのだろうか・・と思うことがあります

 

私はおそらく老いがあまり怖くない珍しい部類なのだろうと思う

『老い』たらやろうと思うことがたくさんあるからかもしれない

 

ちなみに新しい今のカウンセリングルームのご近所さんは
おひとり様のお婆様が多く住んでいます

皆、とても元気で
そしていつも声をかけてくれるのだけれども

・・なんというか
みんな、気が強いお婆様なのよ 笑

気が弱いお婆さんなんて居ないのよ

逞しく生きている

 

さて、私は歳を取ったら逞しくなるのかはともかく

編み物もしてみたいし
粘土もしたい
美味しい紅茶の淹れ方を極めたいし
小さな畑で野菜を育てたりもしたい
穴の空いた洋服を繕ってみたいし
おにぎりを持ってゆっくりとどこかに歩いて出かけたい

 

動けなくなったら空をずっとみていたいし
雲の動きを眺めたい
鳥の声が聞こえたら最高だし
誰かの声がどこからか聞こえたら楽しい

 

あとお洋服にゆっくりアイロンをかけたりする時間も欲しい

育てた花を瓶に生けたりもして

たくさんゆっくり考え事ができることも楽しみだし

映画ももし観れるのであれば観てみたいのだ

 

ゆっくり歩いてスーパーに行くことが1日のメインイベントで

もし認知症になってしまって
誰のことがわからないとなっても
なんとか帰って来れるような気がする

 

どこかの施設に入れてもいいし

死ぬ時は1人で死ぬのもいい

ゆっくり自分の人生を回想したい

映画を見るように見てみたい

ゆっくり気兼ねすることなく生きてみたい

 

ーーーーーー

 

そして
いわゆるあちらの世界からの
お迎えって本当にくるから、誰がお迎えに来てくれるかすごく楽しみにしているところもあります

私の場合は
お迎えが自分の父親と母親だとちょっと嫌だから・・と

先生にお迎えを頼んであります

先生は私の親と同じくらいの歳だから
私が死ぬ時にお迎えに来てほしいと頼んだら
大真面目に『約束します』と言っていたから迎えにくれるのだと思っている

先生も死後の世界の移行の具合を
よく知っているのです

 

私も、よくクライエント様たちの夢に出現して色々な働きをしているらしく

それは私の意識というより
何か違う次元での『仕事』をしているみたいで

だからもしかしたら『お迎え業務』も承っている気がしてならない

なので
誰か、心もとない方はお声がけください

私が実際に行かないでも
誰かお迎え担当の方が必ずお迎えに来ると思うのです

実際に『人格』を色々な場所にお連れする中継の役柄はしているようで

そういうのを毎日のように目の当たりにしていると

みている世界だけではない『他の世界』があるのだと
感じざるを得ないのです

 

さて
そのお迎えの道中というか

こちらの世界と、あちらの世界のはざまの
真ん中の世界というのはありまして

今年はその中継の場所がよくカウンセリングで出て来ました

お迎えにくる存在の方々というのは
めちゃくちゃ大きい

 

ロードオブザリングで

ガンダルフ?だったけか

その魔法使いの大きさと
主人公の大きさが

まさに人間と、お迎えに来た存在との大きさの比較で

背が高いのよね

 

『元気なマドレーヌ』というフランスの絵本をご存知でしょうか

寄宿学校のマドレーヌちゃんの先生がミス・クラベルというのだけれども

いつもお迎えにくる存在が
マドレーヌちゃんとミス・クラベルくらいの背丈というか、等身の差があるのです

なので、その場面にでくわしますと、いつも
『大きいな〜〜』なんて思いながら
お迎えの場面を見ています

 

私が行けるところの線引きは決まっていて

あちらの淵の
お迎えのところは少し先のところで

そこでお迎えの方が
船に乗ってきたら船に乗せられるし
雲に乗ってきたら雲に乗っていくし

車?みたいな場合もあります
平安時代の貴族とかが乗った荷車的なものもたまに見かける

みたいな感じで毎回少しお迎えの形状が違うのも面白いです

雲の場合はもしかしたら『治療室』に連れて行かれるのかもなあなんて思うのだけれども

ーーーーーーーーーーー

さて
最近のことですが
私ごとではありますが

私の中におりまして、それこそ『解離性同一性障害』のもと?となる人格の一つの存在が
出てきたのです

それこそ、見事に
しかも用意されていなかったのですが

でも、無意識的には用意周到というか
お膳立てされていたのではというタイミングで

その人格が、晴れて沼から出て来れたというか

その沼から出る数ヶ月は
もう荒れまくっておりましてが

ちゃんと迎えがきたのです

もちろん介入をしてもらって・・のことでありますが

1時間くらい格闘して
なんとかその人格を引っ張り出して

そうしたら、船の中の
背の高い人々の中で
他の人格?というか色々な存在に迎え入れられて
抱っこされて 紙吹雪なんかも飛んでて
お祝いムードでありました

意外だったのが、ちゃんと人格として独立して
私の中に場所ができたら
それまで荒ぶっていたその人格が

ものすごく純朴な存在で
ニコニコしているので面白い

こんなに鮮やかな『統合』を自分の中で見ることはなかったので
驚いております

話ができるまで、時間がかかるということなので
しばらく待ちますが

 

こういうことを見ていると

『死』というものすら怪しいなと思ったりもします

何を持って『死』なのだろうか

本当に死んだら『無』なのだろうか・・・?と
思ってしまいます

見ている限り
次の次元に行く感じがしてならないのよな

   

Instagramはじめました カウンセリングルームの様子を よかったらご覧ください

 

↓TOPページへ戻る↓ユークリッド・カウンセリング ご予約・お問い合わせ等はこちら