親が嫌い 

母親が嫌いだった

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は子供の頃から、母親がどうしてもトカゲにしか見えなくて
とても苦手でした

実際、肌触りもなんとなく冷たくて
冷血な感じがあって
触れた思い出はひとつだけしかない

 

運動会でどうしても親の肩車に乗っての
帽子取り競争みたいなのがあって

父親が来なかったから母親の肩に乗った時だけを覚えている

それだけしか母親に触れた記憶はない

 

母親はよく周りから『綺麗なお母さんだね』と評されていたが

どうしても母親の顔が思い出せなかったから
そう言われるたびに固まってしまっておりました

綺麗だなんて一度も思ったことがないと思う

むしろ、般若のお面を見た時に
『あ、お母さんだ』と思ったくらい

いつも母親の顔は恐ろしく、そして母親からいつも逃げたいと思って暮らしておりました

 

幼少期の自分は
とても強い子供で、言い出したら聞かないと言われていたけれども

でもそれでも母親の暴力には屈しなくてはならないことが
とても悔しくて仕方なかった

『死ねばいいのに』といつも母親のことを思っていた

そんなことを最近はよく思い出す

母親が本当に大嫌いだったのだ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

針金のような髪の毛も嫌いだったし

仏壇に向かって毎日何時間も祈る際の
息継ぎが『ひ〜〜〜〜〜〜』というのも嫌だった

どんだけ必死に唱えてんだよと思ってたし

何万遍唱えたら願いが叶うからと、
宗教団体から配られた変なチャートに祈った分だけ色塗りしていく様子も
馬鹿馬鹿しくてお粗末だった

何をそんなに願ってるんだと思っていた

世界平和とかを仏壇に掲げながら
子供に手をあげる母親の浅はかさに反吐がでた

平和を語るなと思っていた

人のゴミを漁り
保管して、読み耽る様子に震えが走ったこともあった

快感を感じている顔だった

死ぬほど気持ち悪いと思って
そこから私は脱出計画を本気で立てて
そして3年後に家を出た

どうにかして家を出ないと死ぬと思っていた

19歳で家を出て、そして親以外の人と過ごす時間の方が長くなるにつれて

親がどんなにおかしかったかを思い知るのだが
まだそれは先の話

私はそこから20年間、トラウマの『と』の字も知らないで生きてきておりました

自分が精神疾患だと気付かないまま
第二の人生を歩むことになるのだけれども

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

スーパーバイザーはまだ解離性同一性障害が初期にあった頃に
『非常にバランスがいい』と褒めてくれたことがあります

『解離のバランスが良い』と言われたのです

その時は『そんなもんかあ』なんて思って
特に聞き返しもしなかったが

今になるとそのバランスの中で重要な位置を占めている
『ある感情』の存在が
私をとても支えてくれていたのだとわかるのです

 

それは
『親への嫌悪感をずっと持ってこれたこと』

それは、母親と抗争のような戦いを繰り広げてこれたからなのだと思うのです

本当に『死んでくれ』と母親のことを思っていたから

でも、自分の人生のためには殺すわけにはいかない

だから早く離れなくては

と『嫌いな感情を持ち続けたまま生き抜いてきたということ』なのです

ーーーーーーーーーーーー

このご時世、そして現代の日本の風潮としては
もうとにかく
『親への感謝』のオンパレードであります

昭和の、それこそ1980年代ごろからでしょうか

『幸せな家族計画』というスローガンのもと、
『こうなれば幸せになる』という『刷り込み』がなされ

それは単に
『三種の神器』と呼ばれた洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビが普及してきて

その中でも白黒テレビが
(そりゃあ企業はモノを売りたいから購買意欲をそそるようなことを流すのだけれども)

『幸せの刷り込み』を一斉に始めて
そしてまんまと、それを間に受けた人々が
テレビの中と同じような行動をとり始める

親と仲良く、家族で笑いあい、休日は車でお出かけ

幸せになるには『家族』の存在が不可欠なのだと
刷り込まれているモノだから

躍起となり
『あなたはテレビの中に人のようになれ』と
お互いに圧力をかけ始めるという始末

でも圧力をかけながら、顔は笑顔なのです

『こんなにやってるんだから、幸せでしょ?』と尋ねてくる

首を絞め合いながら
笑い合うみたいな

まさに共依存

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

でも、それが死ぬほど気持ち悪くて
私は家族が嫌いだったので

家族がどっかに出掛けて家からいなくなるなんて聞いたら
もう小躍りでした

1人で好きなだけ本を読める
1人で好きなだけのんびりできる

自立しろ・・とか言うが
私はむしろ依存の方が恐ろしくて仕方なかったので

自分の全権を親に預けることができませんでした

親のことが嫌いで
親がもつ世界観を
真っ向から否定しまくってきたから

親が、あまり心に入り込んでこなかったのだと今ならわかる

ーーーーーーーーーーーーーーーー

重篤なクライエント様と言う括りがあり
それは『解離性同一性障害』の方なのだけれども

その重篤なクライエント様と言うのは
割と『親と小さな頃から仲が悪かった』という方が多い

『親のことが嫌いだった』と言う方が非常に多いのです

でも親も親の方で
子供に嫌われていることは分かるので面白くない

もっともっとと
あの手この手で虐待をしてくるのだけれども

それでも一貫して親を嫌いでい続けられるということは
意志が非常に強いと言われています

ただ、その分嫌われた親からの虐待の度合いは火傷レベルでいうと
かなりの深傷になっているので

治療に時間はかかるけれども
でもカウンセリング自体では、皆様割と正気で進めていけるのです

ーーーーーー

よくハイブリストフィリアという言葉がありますが
犯罪者に対して情が湧いてきてしまうという精神状態があります

ハイジャックされたり、立てこもりなどをされて犯罪者と長時間共に
居なければならないとなった時に
人間は嫌いでいたり、恐怖を感じていたりすることに非常に負担を感じるため
むしろ『好意をもつ』というようにすり替えるということをします

人間の脳の不思議ではありますが

ハイブリストフィリア(英: Hybristophilia、犯罪性愛)とは、一種の性的倒錯(パラフィリア)で、犯罪者に惹かれてしまうフェティシズムを言う。性的覚醒 ・促進・オルガスムの達成が、強姦、殺人、嘘、不倫、武装強盗などを犯した犯罪者と一緒にいることで起きる性的倒錯である。大衆文化では、この現象は「ボニーとクライド症候群」としても知られている。
多くの知名度の高い犯罪者、特に凶悪犯罪を犯した犯罪者は、おそらくこの現象の結果として、時には刑務所でファンレターを受け取ることがあり、それには恋の告白や性的なことが書かれていることもある。いくつかのケースでは、これらの犯罪者の崇拝者は、愛情の対象とする刑務所内の犯罪者と結婚することもある。
こうした手紙を書く女性、あるいは犯罪で投獄されている男性を追いかける女性は、刑務所グルーピー(犯罪者追っかけ)と呼ばれる。
最も広い意味では、ハイブリストフィリアは、反社会的なダークトライアドのパーソナリティ特性を示す異性に対する嗜好を含むと言える。(wikiより引用)

 

これ、実は性的倒錯の分類がされているのですが

私としては、この場合は
性的倒錯というよりメンタルの緊急保護措置のような気がします

この『情がわく』という心理状態を
緊急事態として創り出す子供は多いです

親のことを『無理やり好きになる』とか
『恩を感じるようにする』などなどは
自然な流れの救命措置のようです

そんな中で

子供が親を憎んで戦い続けるというのはなかなかすごいことなのです

ーーーーーーー

こんなことを言うと怒られますが
子供が出来るのに、親には知能は必要ありません

性交渉をしたら、身体が、子供を産むように自動的になされる

だから言ってしまえば
誰だって子供が作れるのです

しかも『子供を欲しがる動機』と言うものは利己的なものです

遺伝子が欲しがるからだとか

いや、愛情があって子供を育てたいんだ・・とか
色々その人ごとに違いますが

本当、違うのですよ

一方では愛情深く子供を迎え入れ

もうかた一方は『自分の分身を作る』みたいな感覚で子供を作る人もいるし

お家のために子供を産まされる人もいる

私が出会った中で割と衝撃的だったのは
『男を繋ぎ止めて置くために子供を産む』と言う手段としての子供を欲しがる人が
多かったことです

横浜の場末の占いバーで働いていた頃(私は占いはしてないですが)
こういう話が本当、多くてカウンターの中でのけぞっておりました

色々な内情を抱えて
親になる人は子供を産み

そして、色々な内情を抱えた人から生まれた子供もいるということなのです

   

Instagramはじめました カウンセリングルームの様子を よかったらご覧ください

 

↓TOPページへ戻る↓ユークリッド・カウンセリング ご予約・お問い合わせ等はこちら