絶望と希望

トラウマをみていくにあたり
本気で回復を望んでいる人っていうのは
ある意味
とても残酷な瞬間を何回も味わうことになります

あるクライアント様は
ご自分がどう育ったかを
どうしても知りたくて

でも知りたくなくて

そこでうずくまっておられます

わたしとしても 本当に胸がしめつけられる瞬間です

どうか
その瞬間が少しでも和らげたらと
そこに至るまでにカウンセリングのなかで
たくさんの温かいもので こころを包んで待っております

 

「親の実態」ともいいましょうか

親が実は「ただのにんげんだった」という喪失感と絶望感です

それは すなわち
自分も『ただの人間なんだ』という
シンプルなスタートが始まるのです

人間は「ぬくもり」というもので
それぞれに発達していきます

その{ぬくもり}は
個々の親の個性にもよりますが

親が得意とするコミニュケーションで
こどもと関わりながら
そのコミュニケーションが「ぬくもり」となり
その子供を、その響きや眼差しではぐくんでいきます

しかし それが全く無い親もいるということもあるのです

こどもの気持ちが推し量れない

検討がつかない

「愛でる」感覚がわからない

まるで人形のように扱っても
もはやなんとも 思わないという人間がいるということがあるのです

それが悪いとか良いとかではなく
その様な方は ただ現象として存在するのが現実です

 

我が父は
自分の妻を もう見ていません

最後に話を聞いたとき じぶんの妻のことを話す彼は
どこか遠くの残像を見るような感じでした

それも仕方ないなとも思うのです

こんなにも相性の悪い二人が お互いを伴侶としたのは不思議です

ひとがひとと会い
何かを交わしあう中で 良いものも生まれるとするならば

二人にとって 良いものは何だったのか聞いてみたいですが
もうそれも叶わないでしょう

トラウマを治療してくる中で
じぶんの中でも
あんなにドロドロとしてリアルで痛々しかった母や施設の思い出が

おぼろげで

霞がかっていることが多くなってきました

沢山、解毒してきたからです

沢山、大切だと思い込まされてきたものも捨てました

日々を
ひたすら 苦手だと思って避けてきた事にトライして
試行錯誤しての繰り返しをして

自分の中にある『母親の要素』を薄めていき

依存や 責任転嫁をしないで

親の実態も見て

黙々とトラウマを処理してきて

ふと 気付いたら

とおくの霧の向こうに
なんとなく視線を移したら
たまに それが在る

というくらいになってきました

 

あんなに怖くて 痛くて
みみの中にいつも響いていた大きな怒鳴り声や
勝ち誇ったような嬌声や
ヒステリックな声も
変怪する形相も

一滴の透明なしずくのようになり

いつしか どこかに行ってしまったようで

たまに ふいに顔に落ちてくる雨の水滴のように
記憶がよみがえって来ることはありますが

少しの痛みを感じるくらいで

痛いな と 手を当てるくらいになっている自分がありました

 

そうしたら 初めて 自分の身体を 自分で抱きしめられるようになりました

わたしの身体は
わたしにしか感じられない{感受性}があり

その感受性こそが わたしだと思いました

この感受性は
とても素朴で 地味で 寂しがりやで
色とりどりのきれいなものが大好きで
美味しいものをよく覚えられて
笑いあうことが大好きで
疑い深くて 忘れっぽくて 束縛とルールと階級が苦手で
びっくりしがちで
そして親切なようでした

 

わたしは そんな{私}が とても気に入りました

 

わたしは感受性を奪われていたのだなと理解しました

『どう感じるか』 は
わたしを 私として 存在たらしめるものだと 思いました

感受性を奪う行為や教えは こころの殺人だ と思うようになりました

そして 感受性とは何なのか は この先の
自分の考えるもののなかでも 大きなテーマの一つとなりました

 

人間が根本的に得たい感覚って
何なんだろうという問いも出てきました

そう
で冒頭に戻りますが

うちのカウンセリングにも 色々な人がいらっっしゃり
その中には

「愛情が出せない」という悩みが 案外おおいのです

そもそも出さないではなく

「出せない」

はなしを伺うと
「全部自分の思い通りに生きてきたが 満足がいかない」
とか
「もっと人と優しいもので繋がりたい」とおっしゃります

なんとなく「欠損している部分があるのかも」と こちらにいらっしゃるのです

「なにかを感じられるようにしたい」と 来られるのです

そんなときに
なにかの「意志」の様なものを感じます

わたしにとっては 「希望」といいかえてもいいかもしれません

そうしたら
希望を信じてもいいかもな と思うのです

クライアント様自身が
自暴自棄に自分を信じられないとなっても

感受性は その方に必ず戻ってくると 信じたいです