何もせずとも育つ

昔 息子のことをみていたとき
ああ
もう この子は準備しているな
と 思ったときがあった

いわゆる 『反抗期』ってやつだが

私はこのネーミングがあまり好きではなく

親からしたら (反抗)かもしれないが

子どもからしたら立派な
(意志の芽生え)

だから
勝手に 私は『自立期』と呼ぶのだが

自立期は 子どもは(とくに息子)
家の中に 巣を作り始めたのが興味深かった

 

まるで秘密基地のような

自分だけの為に配置される それらは
まるで

戦車のような
機動車のような

割と硬い殻に包まれたような基地を
望み始めて 作り始める

面白いから 黙って見ていたが

その基地に
すんごい頭脳のパソコン入れたいだの

洋服は置きたく無いから 別の場所を
作れだの

音楽も必要だからと
楽器を置いてみたりだの

そんな試行錯誤をしながら

半年くらいで巣は出来上がった

そこには
『立ち入り禁止』を 我々は言い渡され

そこの中で 息子は ぬくぬくと
好きな時間に寝て
好きな時間に起きて

好きな音楽に包まれ

甘やかされたと呼ぶのかもしれないが

ふと 中学になり

外界に興味が出たのか
ひとり旅を御所望になるようになり

調べて 出て行くようになってしまった

温泉まんじゅうなんかを手土産に
帰ってくる姿は その時は
まだ 中学生だったが

徐々に 巣が空になることも増えてきた

 

安全な場所から巣立つ ことの大切さを
なんだか教えてもらった気がする

息子は 親に秘密をもち

私は それも とても 嬉しくて

秘密を持てるようになったなんて
凄い大人じゃないか

と 自立期は
眩しくて仕方ない

我が家は
かなり色々捨ててきた一家で

『一緒にご飯を食べなきゃならない』を捨て

各自好きなものを 好きなように作るスタイル

たまに時間が合えば
ああだ、こうだ言いながら
作る時間を 慈しみながら 味わうが

無理矢理 そんな接点を作ろうとすることを
やめました

おふくろの味なんて 無くていいわ

と 私の味を捨て

『自分の味探せ』と言い放ち
私も(良い母親でいよう)を捨てました

いまでは 何でもご馳走スタイル

コンビニのチキンも
家にある納豆も
誰かが作ってくれたお惣菜も
誰が焼いたんだかわからないホットケーキも

ありがたく 皆の味だと 各自がいただくスタイル

思い出せば
幼稚園のときには

かまぼこを板付きのまま渡し
食べたいなら 好きに食べい!

と ナイフを渡して 見守っていました

小さな手で かまぼこを 切り切りしながら
食べていた頃は遠くなり

今ではスマホ片手に
パンまで たまに焼いたりして

すぐに飽きたりしているのをみると

こうやって

人間は衣食住に絡めながら

面白いものを
試行錯誤しつつ
探していくチカラが 備わっているのだ

と 教えられます

 

 

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