鬼の目にも涙

自分の周りの人たちを、自分の都合の良いように
自分の思い通りにしてきたが
ずっと怒りや恨みの感覚が消えない

・・・と、いうことに気がつくということは
『恵み』なのではと思うのです

周りを操り 操作し あてこすりしたり
八つ当たりしたりして 日々を送る鬼

『なんで そんなに操作したいの?』

と尋ねると
『わからない』と みなさま 涙ながらにおっしゃいます

思い通りになったんだから、よかったんじゃあないですか?
と尋ねると

『でも 苦しいんです』
とおっしゃる

そんな言葉の数々を聞いた時
私は希望の光はまだ灯っていると思います

 

あちらの鬼の世界にいかれてしまった方々は
『苦しい』とかも もはや思わなくて
ただ ただ
人を操り 溜飲をさげ 人を喰らい
でもずっと空腹のまま 満たされなくて いつも飢餓状態にあります

だから また喰らう相手を探して彷徨うのです

 

けど あちらに行かれた方達も『癒し』が必要らしく
だから
それを摂取しようとされたりします

鬼の癒しってのは
『喰らう』ことになってしまっておりますから
逃げるしかないのです

吸血鬼みたいなもんかもしれません

血、吸われたらば仲間になってしまいかねない

そしたらば
今度は自分が血を吸うことになる

 

『癒し』ってのは
人と人との間で多く起こることで 化学変化みたいなものです

もちろん自然からの癒しとかもありますが

あまりに鬼とかに魂を喰われてしまった場合は
欲しいほどには感じられないのではと思います

感受性さえも奪うのが『鬼』ですから

そこかしこに 散りばめられているたくさんの恩恵が
目に入らないのです

 

 

(許可をいただいて書きますが)

鬼が入っちゃった方がカウンセリングを受けているのが
うちの面白いところで

だから 鬼の実態と喋ることもありますし

しかし
苦しくて。。と
鬼との共依存みたいなものを
なんとかしたいと 仰る

カウンセリングを受けて
『鬼を出したい』という意思というか意志がある時点で
もう鬼ではなくなっていたりもします

 

苦しんでいるのは
『自分が鬼』だった頃の旨味と
支配欲、征服欲の快感を捨てられない・・!です

やっぱり『鬼』として人を操っていた時の興奮が忘れられない・・とか

あとは『相手の気持ちを推し量っていくなんて
自分もしてもらってないのに
なんで私だけそんなことしなくちゃならないのよ』 という損をする自分が
許せない『鬼』とか

周りは私の機嫌をとるものだという『幼児性の鬼』

 

ちなみにこれらは『二者関係』でしか世界を見たことがない
・・という発達の途中の段階です

『私と母』
『私と父』
『私と兄弟』
『私と恋人』

と自分を中心に 関係はいつも『二人』としか結べないという段階

人間は定型に発達していくと

『三者関係』というのが存在するのだ。。。

ということを徐々に学ぶものなのです

それは『自分』が入れない関係が存在しているということを
受け入れるという喪失感に近い感覚を体験していくということになります

つまり『母と父』だけの関係が存在するのだ、とか

『母と兄弟』の関係が存在するのだ、という

自分が放り込む余地がない『関係性』があるということを
学んで 初めて大人になる、すなわち発達する ということになります

 

これは『諦め』の感覚にも似ているので

話して説明してみると

『イラッとします』とか言われてしまうのです

自分がコントロールできない関係性が存在する

ということを腑に落とすと
鬼は あれ不思議
ものすごく小さくなってしまったり
消えてしまったりします

 

昔 こんなに心の病や 苦しむ人が少なかったのは
最初から
『諦めるべきもの』として
『身分階級』が生まれながらにあったからかもなと思います

今は 誰しもが
『平等』で『自由』でいるということは

すなわち
『諦める』という機会がものすごく少なくなってきてしまったのと

『諦めない』ということが
ある程度まで通用して
(それは結局 チャンスを得るために共食いして喰らい合うということなのだけれども)
生きていけるからなのかもなあと思うのです

   

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