口から薔薇を

私は個人的にオランダという国の雰囲気がとても好きで

オランダの壁紙とか
絵画とか
国の雰囲気とかも好きなのだけれども

その中で格別にいいなと思うことがあります

それはオランダの言葉で
『GEZELLIG』ということばが存在するということ

この言葉はどう発音するのでしょうね 笑

オランダの国の発音でぜひ聴いてみたいのですが

意味は
『単に居心地が良いだけではなく ポジティブで温かい感情
物理的に快いという以上の『心』が快い状態』

のことを表す言葉だと言います

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言葉でもって
私たちは世界の混沌とした秩序や感覚、感情を整理して

頭でそれを意識して感じることで
生活を回しているようなところにあるので

言葉は繊細でかつ、緻密に整理されていた方がいいなと思うのだけれども

このオランダの『GEZELLIG』のような意味を為す言葉が
日本に存在しているのかなと思うと不思議な感覚になります

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日本の語彙というものを考えてみると
それはそれで
繊細だし
儚いようなところもあるけれども

そのポジティブさとか
許されている心地良さとか・・そういう『おおらかな言葉』があまり無いような気がしてならない

ポジティブさや
勇敢さ
みたいなものは
『語彙』として存在するというより

その語彙や言葉を発する人の『気概』や『勢い』とか『声の大きさ』なんかに帰依して
私たちは理解して認知している節があり

それはいわゆる
『語彙』の交換👉 『言葉の交換』というよりも

『雰囲気』だとか『空気の交換』というものを重視するお国柄なのか

だから
いわゆるADHD、ASDの方が
その『空気の読み取り』より『言葉』に引っ張られて
そしてコミュニケーションがうまくいかないような気がする・・というのも仕方がないような気がします

もっと語彙が増えたら良いのだけれども

私たちの文化としての現段階の成長は
繊細とは真逆の
『色々な意味を内包する大きな言葉』をお互いに掛け合って
その言葉の中に帯びてある『ニュアンス』なんぞを

『いかに読み取れるか』ということで

読み取れる人は仲間だけれども

読み取れない人は
『排除』するというような

酷な世界が
言葉の世界でも広がっているような気がしてならない

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例えば
何か
『ものすごいこと』や『ものすごい人』を『神だね』と評するという語彙や言葉が
最近在るのだけれども

私なんぞは
『え?神?』となるよね 😇

昔は『名を呼ぶことすら憚られるのが神』だったのですが

現代では『神』もフランクになられたもので

神は『代名詞』になってしまっていて
そんなあらわれをするのかと思うと感慨深い

まあでも
日本は不思議で独特な文化かもしれなくて

歌を詠みあうとか
文のやり取りとかで

この姫は
教養があるとか無いとか

この殿方はどこぞのやんごとなき方ではとか

そういうことを『読み取ること』が『風流』だとしていたしなあ

そこにはそもそもの言葉の意味なんかに重きを置いたものではなく

『言葉を送った相手の心を読み取る感性』を育てる文化なような気がしています

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さてカウンセリングでも

『なぜこのタイミングでこの言葉を使った!?』みたいなものを
私はよくクライアント様の
その雰囲気と言葉とから
思いを馳せるみたいなことをして進めていくのだけれども

クライアント様たちが
口を揃えて仰る
その
『安心したい』という言葉の裏にある悲痛で沈痛な感覚を感じるたびに

どうすれば
このかたは肩の力を抜くことができるのだろうか
と模索します

クライアント様の脳内には
ある棘のような言葉が刺さっていて

それを抜くのが大変なのだけれども

それは明らかに『言葉』が刺さっていたりします

その言葉は『槍』のような風体をしていたり
ヘドロのようなこびりつきになっていたりします

その『棘のような言葉』は
必ずそれを言われたもしくは浴びた『雰囲気』とともに
刺さっています

   

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