贈り物

 

大事な人を 大事にすることが難しい

 

これ
結構 深い悩みなのです

あるクライアント様と話をしていて

『どうでもいい人や
ちょっと距離がある人
少し気を遣う人の誕生日は
ずいぶん前から 何をあげようかと悩むのに

彼氏には 『現金ね!』と
サラッと それで終わりな自分がいるんです 』

彼氏さんに
指摘されて気付いたそうです

 

確かになぁと 私も思う心当たりがあります

自分を大切にしてない人に
ああ 、あれあげようか
…なんて考えてしまう

なのに もの凄く自分に尽力してくれる人には

『私が一緒に居てあげてんだから
いいでしょ』

という よく分からない感情なんだか
声なんだか
感覚が出てくるのだ

もちろん、感謝しているのに
うまく それが伝えられないし

伝える事が もの凄く億劫になってきて

しまいには
身体が動かなくなってきてしまう

これ愛着障害 もしくは虐待を受けてきた方々に多い気がします

親が適切な『安全基地』として
存在してくれなかった人に多いようです

『物をプレゼントする』

ギフトをする、という
心の働きを 自分で良く見てみたら面白いのですが

罪悪感を消すためや
交換条件として 贈り物をする という感覚は
わりと多くの方々がもつ感覚のようです

単に 喜ばせたいから…!
っていう感覚が多少でもあればいいですが

100% そればかりでは無いのかもしれません

 

ちなみに以前 私はブログでも書きましたが
誕生日が だいの苦手で

何でかと言うと

面倒くさそうに 祝われたりするのや

どう私の事を普段思っているのか…が
誕生日に かいま見えたりするもんだから

辛くて仕方なくて
熱を出しておりました

大事にされてないと
認めたくなかったのだと思います

だったら こっちから 熱が出たといって
断ったほうがマシとでも言うくらいだったのでしょうか

身体が、先に 『お断り』と
申し上げたようでした

 

小さい頃 運動会のお弁当が
シートも敷かずに 母親が凄い形相できて
アルミに包まれた 味噌むすび を
渡されて
しゃがんで食べたら

母親は それを上から眺め 食べ終わると
すぐ帰っていったなどの思い出から

自分の子ども達には
運動会のお弁当は めちゃくちゃ楽しい思い出に
しなくては…と 強迫観念のようになり

おはぎとか きなこのお饅頭とかを
毎年 手作りしてたが

これも ギフト として
私が 捉えている 捻れた感覚であります

人には 母親と同じ事をしちゃダメだ

強迫観念のように
いつも それがあり

結果、子どもらや 周りは
何も知らずに 当たり前のように享受するのだが

こちらは なんとも言えない疲弊のような感覚がある事も多々あります

 

けど、
負の連鎖ってのは
いつか 誰かが 断ち切らないとと

その役目をもって 生まれてきている人ってのは います

仕方ないんだよね
と 感じあうことしか出来ません

その代わりに
感受性やらは
一族の中で比べると
ずば抜けて 鋭い方々が多いようです

発達を同時に 持っていらっしゃる方々もいます

一概には 言えませんが
傾向として です