鍵を探す

 

私が小さかった頃

私が 近所や 知り合いに褒められると

母親は 決まって
『人前でだけですよ
いつもはこんな事しないんですから』

とか

『普段は全く 何もしないんですから』

など
褒められる事を絶対に受け取らない人だった

 

だから 自分は
母親が言うんだから
『全くダメな人間なんだ』と
自然にそれを受け入れていました

 

クライアント様達からも よく聞きますが

母親が 外で全く自分を褒めない
むしろ 貶める っていう行為は

その世代の母親達の独特のコミュニケーションだったのでは と 見ています

謙遜する事こそ 母親の美学
…的な 世代の思い込みがあったような気がします

 

私達の世代に無かった言葉で

『ドヤ顔』という言葉があります

得意気な顔 という意味でしょうか

当時の私達には
得意気になるという事は
はしたなく
ひどく反感を買う行為だからと

めちゃくちゃ たしなめられていた気がします

 

私が子どもを育て始めて
しばらくして

芸人さん達から 『ドヤ顔』的な言葉が
世に出てきて

そんな 内面を表す言葉が 世間に出てきた事で

得意気な表現ってものに対する
世間のハードルが
少しずつ低くなってきて

ある程度の 得意気な気持ちってものを
人々が共有して

赦された瞬間から

そのドヤる行為を 皆んなが認めるようになり
コミュニケーションとして 出てきました

面白いなあと思う

昔、私たちが小学校の頃に
そんな言葉があったら
どう違ったかな とも思う

 

私は 母親にきくところによると
『天才か馬鹿かわからない』と
先生達に よく評されていたらしく
通信簿にも書かれていました

それを母親は 私を
『知能が低い』からと
殴って勉強させていたりしました

私は 知能が低いと自分を思ってもいましたが

 

それより

自分の物の考え方の仕組みが
人とは違う事が ダメなんだと 考えておりまして

なんとか自分の思考の癖を矯正出来ないものかと
いつも律していました

 

だから

人が 考える という事は 一体 何なのか

と よく考えていました

人は どうやって
考え方の骨組みを持つようになるのか
を いつも考えていました

宗教的な考え方がいいのか

序列を重んじた方がいいのか

絶対的にある『法則』はあるのか

…これは 『美』に対する強迫的反応が
人間には強く影響すると当時は考えましたが

 

なにより
感受性や
痛みの受け取り方は 人それぞれだが

それを
どこに当て嵌めたら

『その人 個人の考え』という物になるのか

と、いつも考えていて

母親と 私の『考え』は
いつも 水と油よりも違い
擦り合わなさを 何とか 補えないのかとも
考えておりました

 

結局 母親を理解は出来なかったし
自分も矯正出来たのか わからない

という 結論になりましたが

 

未だに
人間の中で 『考え』が
枝葉のように 伸びて
満ちていく様子は 不思議な事で

その 伸び方や 枯れ方 も
森羅万象をみているような感覚になります

 

その『考え』や 『思考』が出来上がるさまは
刹那的すぎて 苦しいので
哲学や倫理を学ぶことで
少しずつ 希望を見出していきましたが

やはり 環境による
『考え方の癖付け』は とても影響が強く

世代別にも 思考のパターンは 違います

 

 

さて、私の好きな遊びがありまして

『ブラックボックス遊び』
ってのがあります

 

人間の頭… つまり 思考 をブラックボックスと
見立てて

環境や 人間関係 が入力されると

思考や表現が 出力される と 思ってください

 

これを
カウンセリングで 私は やっております

つまり 人間の思考パターンを
公式化、法則化 してしまうわけです

 

しかし ブラックボックス、つまり
人間の脳は
刻一刻と変化しています

時を刻むごとに 変化し 戻りません

それも 公式にいれつつ

『入力』と『出力 』から
その方の思考パターン つまり
その方独自の

『法則』を見出していくのです

 

絶対、出力しない方ってのは居ないので
公式化は 可能なのです

snsや ブログなんかも『出力』みたいなものです

本当に『真の意味での自己紹介』です

そこから
導き出していく 独自の法則を
私達は 見立ての軸として 見ています

 

そして 苦しみの思考パターンを外す
『キー🔑』や 『番号』を探しだし

入力し

その方の中にある
『パンドラの箱』的なものを 解放していくのです

 

 

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