母親

私は あまり 学習能力が無いのか

あんなに 縁を切ろうとしていたのに

母親からのメールに
つい 返事をしてしまったのです

ゴールデンウィークの最終日に

少しなら、時間ありますよ

と。

 

「明日 母が うちに来る」と思うと

娘心なのでしょうか

花屋に行き 母親の好きな
紅色の紫陽花を買い

明日渡そうと
用意をしている自分がおりました

ただ 喜ぶ顔を見たかったのです

 

次の日
母親は やってきました

来るなり
苦々しげな顔をして

「車 買ったの?何で?」と
言われました

そして 恒例の 部屋をチェックから始まり

私の娘の 顔を笑い
「何、そのメイク」と言い

自分の近況を話し続けました

私が 連絡を何故 とらなかったかにも触れず

ひたすら
自分の話をして

ちらし寿司を作ってきたから と

そこには 髪の毛が入っており

私は もう 卒倒寸前でありました

 

帰り際に花を渡すのを忘れていたら

目敏く見つけた母親は
「これ、何?」と言い

受け取ると
「わぁ こんなの貰ったの初めてよ」と
帰って行きました

母よ わたし、ずっと
母の日のプレゼントを貴女にあげていたよ

と 喉元まで出かかる言葉を飲み込み

何とか 帰ってもらいました

 

息子は 一連のやりとりを
「学校で よく見るイジメみたいだった」と
言い

娘は 「連絡をもうとるな 縁をきれ」
と言いました

 

夜になり
母親から メールが届きました

そこには

「あの車は あなたには ふさわしくない」

と書いてありました

 

ぐっと堪えても
消化しきれない感覚がありました

やっとのことで 母親に
「今後は連絡をしないでください」とメールをしたら

3日後

「適材適所」と 書かれたメールと
母親にあげた紫陽花が 小さなおかしな鉢に植えられた
写真が送られてきました

まるで 自分の事をいわれたような感覚になりました

母親から 今のあなたは
相応しくないと

昔の みじめな 姿が 相応しいと
言われたようで

脳みそに 針が 無数に 刺さったかのような
感覚になりました

過去のことは もう 片付いたと
思っていたのに

やはり 噴出してきました

 

そして 昨日

とうとう 記憶も無いのに
涙が止まらなく
訳が分からないことを
口走る事態になりました

「汚いから食べるなって 叩かれる」


わーわー 泣きました

もう いい齢をしている私が

自分自身を
心配そうに

悶えて泣く私を眺めておりました

しかも 泣きながら言っている意味がわからない

まるで 本当に
小さな子供が 泣くように

痛い 痛い 叩かないで

と 頭を抱えて泣く自分が
不思議でなりませんでした

泣き疲れて眠り

朝になっても
まだ涙は出てきました

鏡をみたら 顔から背中にかけ
じんましんが出ておりました

唇には 一晩で ヘルペスらしきものが出来て
腫れ上がっておりました

トラウマ、凄いなぁ

と思いました

今日は 現代催眠の先生に会う日でした

先生は
「毒の井戸水」の話をしてくれました

子供ってのは
もう、毒が無くなったかな…と

また
昔の懐かしい井戸水を飲みに行ってしまうのだが

毒は、毒ですよ

と 言いました

「ちらし寿司が 異常にマズかった 」と

バチ当たりかなと思いながらも
恐る恐る言ったら

大笑いされました

ちょこちょこ 話してはいましたが

母親のエピソードを 初めて
長く 話しました

中学校でイジメられて
地下鉄で 今すぐ 飛び降りて死ねと
集団に囲まれる毎日を過ごしていたときも

母親は 「休むなんて 負けだよ」と
家を出す人でした

そして
私がイジメられていると 周りに
吹聴する人でした

叩かれ 追い出され 折檻されが日常でした

先生は
「そんな母親に
紫陽花を 選んだと言うあなたの姿をみて
胸がつまります」

と言っていました

一緒に瞑想をしてくれて

先生は
「 お願いしてみましょう
どんなものにでもいいのです

花や 木や 宇宙や 光に

どうか 良くなりますように、と

それが 祈りというものです」

と言いました

新興宗教にハマっていた母親の影響もあり

祈りが嫌いな私が
なんとなく

「楽になりたい」と 自分を投げ出したような感覚で
瞑想をしたら

呼吸を感じるたびに

大粒の涙が ぼたぼたと 垂れ

先生が、そっと ティッシュを渡してくれました

瞑想中は目を瞑っていますからね

そして 息を吸って吐く自分を感じると

「私 生きてきたんだなあ」と
自分以外の 力 を 感じました

先生は
「カタルシスが起きると 楽になりますよ」

と 色々なエピソードを話してくれましたが

やはり
カタルシスってのは
クライアントとカウンセラーが
共に 共感し わかりあって 在るほうがいい
と わかりました

 

今後はどうしたら いいのだろうかと、なり

スーパーバイズは
「 あなたの母親には 死ぬ3日前に会いにいけばいい」

と言ってました…と

それを 現代催眠の先生に伝えると
「さすがだねえ !」

と 言いました

親は ロケットにある燃料庫みたいなものだから

宇宙にでたら
切り離ししていいよ と 言っていました

 

帰ると 娘が
着信拒否と 連絡先を削除してくれました

「変に残すと 罪悪感湧くから
消しな!」と

強い娘だな…と 思いました

気付いたら 連絡手段が消えておりました

 

顔は ぶつぶつのままですが

明日もまたカウンセリングです

そして

大事なことをひとつ

決して 私の母親と
ご自身のの母親を比べてほしくはないのです

私が ここに書き記すのは

どうやれば トラウマから回復するか
を ひたすら もがいて

そこから 何か ヒントになることが
あれば…とのことからです

虐待の度合いは
関係ないと思います

綺麗ごとなんではないか とも言われますが
本気で 生きていくなかで

自分の体験したことを
自分の言葉で表すことを大事にしようと

今は 淡々と
波を頭からかぶって 泳いでいる感覚です

夫は
「お義母さん、
俺が暇な時に来れば いくらでも話し相手に
なるんだけど

おそらく 俺とは話したくないんだろうな」

と言っていました

普段 鈍い夫が その発言をしたのが
何となく 全ての あらわれ なのかもしれません

私の感受性が おおらかであれば
もっと違う関係を結べたのかもしれません

しかし
自分の感受性を 変えるべきなのかしらん

…というか 今まで感受性を
殺してきたから こうなったのだよな

だから そこに 何か
救いは無いのかな と探してしまうのです

みんな 苦しんでいる

そこから どう 光をみるか

比べるのではなく
何か ヒントになることが あるはずだと
信じています

案外 トラウマ治療のリアルな回復期の手記って
探しても 無いのですよね

だから 私のやり方を見て
もっと 違うアプローチを試みていだだくのも
いいと思います

だから 誰か1人にでも ヒントになればと
正直に書き記すことにしました

やるなら とことん 突き詰めたいタイプ

だから 様々なアプローチにチャレンジして
踏ん張れている私がおります

皆さまが 居てくださるから だと
いつも ありがたく 思っています

トラウマからの回復

私を見て 色々感じていただけたら
幸いです

 

 

 

 

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