自滅に導く声

高之瀬に昔きいてびっくりしたことといえば

それはどうやら
普通に人は脳内で声がしないらしいということ

私はずっとこの感覚というか
頭の中で声がしている状態が当たり前で

それは
交差点にいるときに
あちらからも こちらからも 声がしてくる
近づいてくる声もあれば
遠ざかっていく声もあり

耳元で常にネチッこく罵倒する声もあるし

いきなり子供が叫ぶ声もあるので 結構疲れるのだ

これをちゃんと認識できるようになったのは
中学生の頃で

うつらうつらしていたら
いきなり自分がどこかの雑踏の中にいるような音の中にいて

話し声が至る場所から聞こえてくるというか

しかし
自分の外側からではなく
内側から聞こえてくる音というか声なので

どこかの音を自分が受信しているのかなあ。。なんて思いながら
そのまま眠ってしまった時期がありました

しかしそのうち
この聞こえる音というか声というか雑踏の音が少しずつ苦痛になってきました

金縛りになった感覚も出てきて

身体が痺れながら
なおかつ音だけがどこからともなく響いてくるという環境が
眠りを蝕んでいきました

いつしか
それも
忙しさか

恋をしたからか

頭の片隅から意識されることもなくなってきましたが

形を変えてしっかり存在していたのだなと気づいたのは
絵が描けなくなってきてからでした

絵を描こうとすると
鳴り響く声があって

その声を聞くと身体が痺れて 腕が動かなくなってしまうのです

そして
なんとなくその声は 馴染みのある声でした

絵が描けない
という絶望的な状況から、自分の異変に気づいて
メンタルが原因かもと探り始めてこの心理と精神の世界にきましたが

勉強をしたり
自分も治療を受けたりした中で

自分が解離性同一性障害の兆候が
中学に上がった頃くらいから出てきたのがわかりました

私は中学受験で母親に死ぬほど殴られて勉強をさせられてきて
それで恐らくコップに水が溢れるように
精神の均衡を失ったのだと思われるのです

寝る時間も削られて
罵倒され殴られる毎日で

受験をしないで暮らしている同級生を見たりすると

どうしても不条理に思えてしまい
その時期が私のとっての臨界点を超える時期だったのだと思います

幼少期から弟と
障害者施設で過ごすことが多かったこともあり
温かみのある人間関係より

いつもリハビリで泣き叫ぶ人々を見てきて

暴力性に耐えうる限界も超えていたのだと思います

人間って『限界』はあるのだなと思うのです

それは『安全』に生きていくための指標として存在していて

その限界を超えた生き方は
じわじわと負担がかかってきているのだと思うのです

また『負荷』をもし与えるとしても
先に『安全バー』として
『基本的信頼感』みたいなものが育っていることが重要だと思うのです

基本的信頼感なくして
負荷を与えることは
人生のどこかしらかで少しキツくなってくることが多いと
臨床の現場を見ていて思うのです

カウンセリングでは
その『限界』を超えさせられてしまって出来た傷も修復します

私自身、限界を超えすぎて出来てしまった傷が修復された後
声に惑わされることが少なくなってきました

あの声は
今となれば
母親の声がほとんどだったなと思います

母親の声は
さも自分の意思のように
自分が 行きたくはない間違った方に導こうとするものでした

自滅の方向に導くものでした