私はサル 

猿山⛰️の猿🐵の群れを見ていて思う

 

猿というのはすごいのだ

 

彼らは周りに気を遣って(配ってというのか)生きている感じがするのだ
周りをいつも観察している

どこにあの猿がいるとか

ここの餌がありそうだとか

どこどこに、どの猿が向かったとか

猿は皆んな
何かしらを食べたりしながら
周りをキョロキョロと見ている

子供の猿の集団を見守るとか

ボスっぽい大きな体格の猿は
誰からも見られる場所に居座るとか

 

それを見ていると
なんだか人間もこんな感じよなあと不思議な感覚になる

 

猿の種類でいうと

例えば
ゴリラ
トンパンジー
ボノボ
オランウータン
ニホンザル

など地球上で観測されている種類は250にもなるという

 

なぜ猿という存在は人間にとって特別かというと
それは人間に近しいからという答えが一つあります

それは道具を使うこと
群れを形成すること
言語らしきものをつかってやり取りをすること

それが非常に人間と近しいからと
世界には『猿の研究』をする人が多くいます

私も、猿の記事や特集を見かけると読まずにはいられない1人でもあります

なんだか猿という存在は
とても不思議な感覚を呼び覚まします

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さてそんな中で猿を(特にこの場合はニホンザルでありますが)見るにあたり

日本ではもちろんニホンザルが特に多く生息するし
今も山の中でニホンザルは群れを作って生きているので
一番近しい猿といえばニホンザルなのだけれども

日本の動物園では
割とこのニホンザルを大きな円形劇場のようなところに住まわせて
それを私たち人間が少し斜め下に見るという配置がなされています

 

そのニホンザルの円形劇場を覗いてみると

たいてい、体格が大きな
そしてものすごく毛がふさふさしている大きなオスの猿が
猿たちの中心にいたりします

たまに大きな声を出して
牽制?みたいなこともしたりして

その猿は
何者も近寄らせないし
何もにも近寄らない・・・みたいな雰囲気を醸し出しております

威厳があるというか

私が見ても近寄りがたい感じ
気難しそう

 

しかし最近わかってきたことによると
ニホンザルの群れにはリーダーという存在はいないのだそうです

誰か1匹が統率するというより
『群れの掟』みたいなものが集団を束ねるのだそう

 

調べたところ
猿の群れというのは
それぞれのニホンザルとかチンパンジーとかゴリラなどにより違いはあります

ゴリラは一夫多妻であります

テナガザルは一夫一妻制

ニホンザルとチンパンジーは
複数のオスと複数のメスで群れを構成しています

ニホンザルの多い群れは150匹ほどで構成されています

とくにチンパンジーは生まれた群れから出ていく役割はメスになっています

なのでいずれのメスも生まれた集団から離れて、どこかの群れを見つけて
そこに属するわけなのですが
そしてそこで子供ができたとしても近くに自分の母親がいない中の子育てとなります

 

チンパンジーのオスは最初から生まれた群れにとどまって生きていくので
チンパンジーの社会は男が群れに残る社会(父系社会)と言います

ゴリラ🦍は一夫多妻制ではありますが
オスもメスも群れを離れたりできます
・・・自由度が高い

マーモセットは1匹のメスに対して複数のオスがいます

そしてオランウータンは単独、1人で行動します
・・メスが子育てをする場合のみ子供と一緒にいますが
基本オランウータンは1人で木の上で暮らします

群れを作らず、でもそれぞれに存在は把握していますが
群れない というのが特徴らしいです

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いつもこの猿(霊長類)のそれぞれの暮らしぶり
や習性を考えていると、
なんだか人間もこれに似たようなところがそれぞれにあるよなあという気になります

ちなみにヒトに最も近いのは、オランウータンではなく、チンパンジー

チンパンジーとヒトの共通祖先が別れたのはわずか600万年前ですが、オランウータンとヒトの共通祖先が別れたのは1500万年も前と言われています

つまりチンパンジーはオランウータンよりも人間と近縁な関係

わかりやすく例えるなら、人間とチンパンジーは同じアフリカで生まれ育った兄弟、

対してオランウータンは遠いアジアで生まれた従兄弟

といったところらしいです

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人間もそれぞれに祖先がもちろんありますが
そこは大きなルーツみたいなものが存在します

実はカウンセリングではそこをすごく大事にみていたりします

『ああ この人とは考え方が全く違うのだな』と思う時がありますが
それはもしかしたら霊長類ほどの考え方の違いなのかもしれないなと思ったりします

オランウータンとチンパンジーの違い・・的なものです

どちらにもそれぞれに『遺伝子に組み込まれた習性』みたいなものがあって

どう生きるかという(群れの構成の仕方)目的や行いなんかも違って

でも
それぞれに、それぞれの『血の騒ぎ方』みたいなものがあるなあと思うのです

争わない為には
棲み分けなんかも大切かもしれないし

今後のためには、敢えて
一緒に住んで共存して新たなものを創り出していくということが必要なのかもしれないし

その『大いなる意思』みたいなものは
私なんぞの一般には計り知れませんが

でも、それぞれに『正義』やら『群れの掟』やら『遺伝子に組み込まれたもの』なんかもあるよなあ
と思うと

猿ももちろん愛おしいが

人間が、どれだけ大変なことをしているのかと震えるような感覚になります

 

一夫多妻制のゴリラのオスみたいな人いますし
そのゴリラに惹かれてしまう人もいますし

かといってチンパンジーみたいにメスが群れを出ることにより
メスが新しい風を創っていくような人もいるし

オランウータンみたいに
木の上でゆったり、仙人のように暮らす人もいる

ニホンザルみたいに『年功序列』を掟として
とかく群れに属することを大事にする人もいる

そんな色々な種が
いっしょくたに
同じ世界を構成しているというのがすごい

 

ちなみに
なぜこんなブログを書いているかというと

そのそれぞれの霊長類の種族は
その群れの構成の仕方は
『餌』をどう獲得するかということと密接に関わっているからなのです

ニホンザルは群れで餌を獲得するので
食いっぱぐれは少ないですが
でも群れならではの面倒くささや衝突はあるらしいです

オランウータンは、自分が餌を獲得しなければ死んでしまうので
自分の身は自分で守る

誰かに助けてもらうということをあまりしない

ゴリラは一夫一妻制だが
オス同士が特別なネットワークで疎通があるかというと
ほとんど無いらしいです

なので自分がパートナーとしているオスがリーダーシップに乏しいと判断したメスは
そのオスと群れから離れれるということをします

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私、ごく最近ですが
外国の異文化の方と仲良くなることがあって

その異文化が
まるでこの霊長類の違いなような感覚を覚えるのです

アジアの文化というのは
『富める人からもらうのは当たり前』というものがあって

貧しい貧困の人たちは
裕福な人に施しを要求することが当たり前です

それは群れを存続させるための当たり前のような掟的なもので

その文化の中で今も生きているんだ・・・!とものすごく感激するような感覚になります

対して
私たちが生まれて育ってきた日本の文化というものは
『働かざるもの食うべからず』みたいな『切り捨て方』もできる集団で

1匹の富める存在になりたいと
お互いに蹴散らすような争いをしてたりもして

そんな霊長類は、たとえばどんな霊長類だっけ?と
考えたくもなります

1匹の富める存在が
富を分配するかというと、そうでも無いしね

 

そんなことを思って
ふと違う面を見ると

性的に『一夫多妻』みたいな感覚を持つ男性にお会いしたりして

『あーゴリラいたわ』なんて思ったりもします

私は
あんまりゴリラの感覚は少ない気がしていまして

何匹もメスを抱えられるオスに魅力を感じません

昔っから芸能人にも興味がなく
かっこいいとかの感覚も希薄だったので
性的なゴリラの感覚が少ない方だと思います

でもゴリラのような『いつでも群れを出ていいよ!』みたいな自由な感じは好きです

人間でも1人の男性にたくさんの女性が集まる現象はありますね

人間の世界というのは
色々な類や存在で構成されているので

それを🙆‍♂️まるっと受け止められるようになるには
まだまだ修行が必要そうです

 

   

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