人生の保証は、誰にとってもない

もし人生に保証があったら
私たちはもっと自由に生きられるのでしょうか

失敗しない保証
傷つかない保証

裏切られない保証
後悔しない保証

そんなものがあったら

人はもっと大胆になれるだろうか・・・

私は必ずしもそうではない気がしています

カウンセリングをしていると

不安を抱えながら前に進む人と
不安の前で立ち止まる人がいるなあと感じます

もちろん

どちらが良い悪いという話ではありません

人にはそれぞれ事情があります

生きてきた歴史があります

感じてきた世界も、秩序も、観念も違います

ただ
長く臨床をしているとあることに気づきます

動けない人は

不安を避けているというより
『保証を探していること』に立ち止まっているということです 

大丈夫だとわかったらやります

失敗しないとわかったらやります

うまくいくとわかったらやります

傷つかないとわかったらやります   等々。

しかし
人生には困ったことにそういう保証は存在しません

転職も  引っ越しも
結婚も  出会いも
離婚も  再会も 
独立も  買い物も
出産も  子育ても
創作も  

始める前に結果がわかることはありません

また、老いゆく自分の身体でさえ、
どうなるか分かりません

私たちはわからないまま進むしかないのです

私自身も、もちろんのこと
不安がないわけではありません

むしろ不安はかなりあります

新しいことを始める時 
知らない場所へ行く時

大事な決断をする時

やはり怖いものは怖い 

それでも

どこかで
こう思っている自分がいます

『どうせ保証なんてないじゃんか! 』

少し乱暴な言い方ですが

本当にそうなのです

どうせ人は死ぬ

どうせ別れは来る

どうせ思い通りにはならないこともある

だから
保証が現れる日を待っていても仕方がない

そんな感覚があります

考えてみれば
私は幼い頃から
保証というものをあまり経験してこなかったのかもしれません

人の機嫌は変わるし

守られるとは限らない

差別はあるし
人は比較をしたがる 

努力しても報われるとは限らない

母が、こう言っていたことも私にある影を落としています

『私の人生は順風満帆で、
手に入らないものなんてないと思ってた

 だけど、違うのね』 

弟と、私を見ながら

そう母が言っていたことが、かなりの影響を及ぼしていることも
自覚はしています 

そう 

ーーーーー世界は思ったより不安定だった

と感じていました

でもその一方で学んだこともあります

『保証はない』

ーーーーーーそれは思想ではなく、経験でした

だから

保証がないこと自体には
あまり驚かなくなったのかもしれません

そして不思議なことに
保証がないことを知ると

少し自由になります

保証を探す手間が省けるからです

保証という、当てにならないものを探す時間がもったいない!
というところに至ります 

はい
もちろん怖いのはあります 

でも

『怖いからやらない』
ではなく

『怖いけれどやる』になる

だって、進まないと
私の人生は誰も肩代わりをしてくれるわけでもなく

そして周りの人も、自分の人生を生きるのに精一杯です 

だったら
とことん『私』を、生き延びるしかない という私なりの哲学です 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここで思い出すのが
禅の世界です

禅には
確かな答えを与えてくれる教科書がありません

むしろ
わからなさの中に立つことを求められます

禅問答なんかは、まさにそうです

正解がわかってから生きるのではなく
わからないまま生きる

わからなさを感じる 

わからなさと、共に生きる 

それはある意味、保証を手放す修行なのかもしれません

空海もまた
保証された人生を歩いた人ではありませんでした 

若くして官僚の道を捨て

誰も理解しないような道へ進み

命がけで海を渡り

異国で、とりあえず人に会いまくり

動き回ったからそこの出会いがあり
そこで偶然にも『秘密の教え=密教』を学び 

再び日本へ戻ってきた  

その時、空海には
未来が保証されていたわけではありませんでした 

むしろ命の保証すら、何一つなかったでしょう

それでも歩いた

なぜなのか 

私には
空海が保証よりも

願いの方を信じたように見えるのです

保証とは
未来を確定させよう、とする力です 

願いとは
未来がわからなくても進もうとする力です

この違いは大きいと感じます 

保証を求める心は、不安をなくそうとします

願いは
不安を抱えてでも、歩こうとします

保証を探すと、人は、目の前の足元ばかりを見るようになります

願いは、空にあります
遠く見えますが、でも絶対に方向は違えない

この世界は
誰もが傷つく世界でもあります 

あのかつてのお釈迦さまでさえ、傷ついた 

そして
誰もが失敗します

誰もが別れを経験します

そして最後には死にます

だからこそ

生きるということは
保証を得ることではなく

不確実さの中で一歩を踏み出すことなのかもしれないなと感じるのです 

私は最近

成熟とは

不安がなくなることではなく
保証がないことを受け入れることなのではないかと思っています

・・というよりも

本音を言えば
保証がないことを、面白がれたら最高かな という感じです 

保証はけど、それでも生きる

保証はないけどそれでも愛してみる

保証はないけど、それでもやってみる 

保証はないけど、それでも今日を生きてみる 

そんな姿の中に
人間の強さがあるように思うのです

ーーーーーーーーーーーーーー

もしかすると自由とは
何もかも保証された世界で手に入るものではなく

保証のない世界を引き受けた時に
初めて訪れるものなのかもしれないなと感じると共に

このスリリングさに
魅力を感じてしまうのは、私だけでしょうか 

わからない世界だからこそ
私は、来年はどう過ごしているか とか

何を作っているか とか

誰と話しているか など

想像をしている時が、とても自由でもありワクワクします

そうそう、
私は クライエント様に、少し面白い提案を
少しずつ折を見て、最近するようにしています 

徐々にタイミングをみてですが
この方にはこんな挑戦をしてみたら

今、縛られていると思い込んでいるものから
自由になれるのではないか・・と。

『こんな場所に行ったらいいかも』とかの提案だったりするものですが
割と皆様、それをされてくださって

そこから、何か力動が起こるという事があるようです 

私自身の、私のための
私が楽しむものとしては

私は、アイデアノートを創っています

たくさん、それこそ
細かいもの 欲しいもの 作りたいもの やりたいこと

そういったものを
絵だったり、言葉だったり、切り抜いたりして

ガンガン作っています

来年やることも書いています

そしてそのほとんどが保証が無いことばかりですが

でも
それが、私の北極星みたいなもので

そこに『目指すもの』さえあれば
道は自ずと 照らされて見えてくると感じています 

北極星は
目的地を教えてくれるわけではありません

でも
方向だけは教えてくれる

私はたぶん
保証ではなくその方向を信じて生きているのだと思います

そんなことを考えながら

今日もまた
わからない未来の方へ向かって歩こ〜と思いつつ

ちょっと、こけたりもするのですが

それもまた、人生。