目は口ほどにものをいうというけれど 

『まなざしの現場で起きていること』

そして、言葉になる前にすでに伝わっているものについてです 

人は言葉でコミュニケーションをしていると思われがちですが
実際には言葉になる前にすでに多くのことがやり取りされています

その中心にあるのがまなざしです

ここでいうまなざしは
単に見ることではありません

それは
意味を与える働きであり
位置を決める働きであり
関係を成立させる力です

つまりまなざしは
すでに一つの言語として機能しているのです 

例えばこういう経験はないでしょうか

何も言われていないのに
なんとなく嫌われている気がする

あるいは
何も言葉はないのに
歓迎されている感じがする

そこには必ず
まなざしがあります

言葉がなくてもまなざしはすでに語っているのです

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ここで一つ印象的な例を挙げます

私は幼稚園の頃に衝撃を受けた記憶があります
それは 

女の子同士の関係の中で

突然相手が顔をそむける
いわゆる「プイっとする」あの仕草です 

あれに初めて出会ったとき

何が起きたのか分かりませんでした 
 
しかし
確実に何かが起きたと分かる

言葉は一切ない

でも

拒否されたことだけははっきり分かる

これはとても重要な体験でありました

だから記憶に残っているのだけど 

なぜならここで初めてまなざしが意味を持つこと

そして
言葉がなくても関係が変わることを知ったからです 

プイっとするという行為は
ただ顔を背けているのではありません

それは

あなたを見ないというメッセージ

関係から外すという操作

そして

あなたの位置を変える行為です

つまり
一つの言語です

ただしそれは
言葉よりも強い

なぜなら
説明がないからです

言葉があれば

人はまだ考えることができます

でもまなざしは
一瞬で意味を確定させてしまう

だからこそ

子どもの頃は強い衝撃を受けたのです 

何をされたのか分からない

でも確実に拒否された

この
分からないのに伝わる
という感覚がまなざしの本質です

そしてこの体験は大人になってからも繰り返されます

例えば
誰かと話しているとき一瞬だけ視線が外れる

ほんの少し間がずれる
表情がわずかに変わる

そのとき人は

説明できない違和感を感じる

でも実際にはそこでもまなざしが語っている

現代は特に言葉が過剰にある社会です

SNS
メッセージ
投稿

常に言葉が流れている

しかしその中でもなお
まなざしの影響は消えません

むしろ

言葉が多いほど
まなざしとのズレが目立つようになる

例えば

優しい言葉が書かれているのに
どこか違和感がある

丁寧な文章なのに
なぜか重い

それは

言葉とまなざしが一致していないからです 

まなざしは
言葉の裏側にある言語です

そして時に

言葉よりも正確に、そして雄弁に関係の本質を伝えてしまう

ここで重要なことがあります

人は言葉を信じようとします

でも身体はまなざしを感じとり、そして信じています

だから

頭では大丈夫だと思っていても
身体は拒否している

これが

違和感や疲労として現れるのです 

ここまで見ると
まなざしはとても強い力を持っていることが分かります

それは

語る力であり、同時に関係を変える力です

関係を成立させ
同時に破壊もする力であることが分かります

ではどうすればいいのかと言うことですが、

一つは
言葉だけで判断しないこと

そしてもう一つは自分の感じているまなざしを無視しないこと

違和感
重さ
ズレ
それらはすべてまなざしを通して受け取っている情報です

まなざしは
言葉になる前にすでに存在しているものです

赤ちゃんは言語よりも、まず
養育者の眼差しを感じとります 

そして
今、生きている私たちはそれを感じ取る力を持っています

だからこそ

言葉だけでなく
まなざしにも注意を向けること

それが関係の中で自分を守ることにつながります

そして同時に

自分のまなざしもまた
誰かに影響を与えているということも忘れてはいけないことだと考えます 

まなざしはすでに語っているのです