頭上の素朴なもの

最近の、その頭の上にいらっしゃる『あれ』についての考察

以前のブログでも書いた
『それぞれの頭の上の神さん』の話

例えば、かの有名なキリストの脳内の『神』は、誰もわからない 

例えば、近所のこじんまりした神さまを
私が『こうだ』と想像したとして
それをそのまま全く違いなく『そうよね!これよね!』と
視える人はいない

それは、私にも言えることで
他人の想像する『神』を
そっくりそのまんま感じることはない

これは『私のみている林檎の赤の色が🍎これだ』としても
他人からは『🍏』と認識しているかも知れなくて

そこは 『赤=🍎=🍏』みたいな世界ってのは
証明のしようもないし
だから存在しているかも知れないし

その『人それぞれの認識』は『その人しかわからない』
っていうのが世界の今のところの『本質』とみます

だから、カウンセリングで
『これが正しい世界なんだよ』なんて烏滸(おこ)がましくて言えないし
思ってもいません

ただ、よく見るのは

『不便そうだなあ・・』という現状が見られるということだけでです

不便は改善の余地があるということですから

こちらのイメージ的には『滞っている神』を
消滅させてしまうような感覚でカウンセリングの介入をするのですが

その滞っているものを
なんとなく私の感覚でぼんやり見ていると
魑魅魍魎が多い気がします

魑魅魍魎って、その方の『守り』にもなってしまっていたりして
それはそれで興味深く見ています

すこーし覗いてみると、歴史ものの壮大な絵巻物みたいなものが見えたりします

そういえば
ずっと不思議だったのですが
先生達ももちろん視える人ですが

龍とか、ついている人って出てこないのよなあ

だから我々の見立ての世界観では『龍』はいないのです

代わりに仏像とかが胎内にいる方がいます

あと滝を身体に持っている方もいます

先生によると
肌に無数の眼がある方もいます

鱗を持つ人もいます

あ、あと
藤子不二雄Aの『笑うセールスマン』みたいな方を
背負っている方は多いかもです

でもこの笑うセールスマンを消滅させるように介入して言って
それが消滅すると
ご本人さまは『ものすごくスッキリされた〜〜!』とおっしゃるので

ああ、笑うセールスマンは重たいのねえ・・と
私らは思ったりするわけなのです

浮腫みみたいなものも取れていって、見た目もスッキリされてきます

この、『どんな神様を頭上に乗せているか』というテーマは
家族内の考え方により出来上がったものもあるし
遺伝的なものもあるのは確かです

懲罰的な家系に生まれて育ってしまった方は
どうしても頭上に『恐怖の神』を乗せていたりします

この場合は、まず『懲罰される恐怖』を解き
次に
『その神様とのご縁を解消する』ということを
自分で選択する必要があります

選択しないと、少しの糸でまたご縁が結ばれてしまったりします

目指すところは
『その方、それぞれのオリジナルの神様』みたいなものに繋がるのが 
ベストなのであります

そのオリジナルの神様はどこにいるかというと

一人一人の感受性の中にいらっしゃいます

お会いすると
どれも美しく、シンプルでいらっしゃいます