鬼からそそのかされない

『負けるが勝ち』とは
自分の中の『鬼』に負けるということ 

自分の中の『思い込み』を外すということ

決してリアルな他人と争って人に負けるということではない
親に負けるということでもない

あくまで自分の心に中に巣食ってしまった思い込みに負けるということ

 

例えば
私の中には『私なんか誰も相手にしない』という思い込みがありました

それは根深くこびりついていて
私が何かしようとするたびに
ことあるごとに

『誰もお前になんか見向きもしない』と
それはささやくのです

いわゆる『鬼』の声ですね 

だから・・・と、鬼は私を唆(そそのか)して喋り続けるのです 

『誰かに助けてもらうようにすればいいじゃないか』
『誰かの真似をしとけばいいじゃないか』
『誰かに引っ張って行って貰えばいいじゃないか』

『誰かに依存しとけばいいじゃないか』

私はこれが『鬼』の声だとわかっているのです

けれども現実を見てみると
私はものすごくちっぽけで
見捨てられてきてので

一人では生きていけないような気分になってしまいます

次第に
鬼が『こちらにおいで』と手招きする方に、徐々に徐々に引き寄せられていきます

『ほうら、
誰かの庇護のもと生きていく道へ行ってごらん
誰かが切り開いてくれた道を、ただなぞるだけの道へ行ってごらん

そちらは楽で

誰かに依存する道だけれども
お前は何も考えなくていいんだよ』

いわば『地ならし』されている道へと行けば楽だぞう
と 鬼は誘ってくるのです

 

それは『自分で考えることを放棄した生き方』です

人は
それぞれに、特性があってそれぞれ違いますが

私の特性は『誰の指示も受けたくない』という生き方です

自分で考えて進んでいく生き方が
しょうにあっているようです

けれども数十年生きてきて
私は困難ばかりに遭い
すっかり骨抜きになっていました

一人で何かを達成したり 成し遂げたりすることはできないのだと思い込むようになりました

この思い込みは非常に強く私を支配していました

 

ある日
私は先生と高之瀬から とある提案 を受けました

詳しくは言えないのですが

それは 『一人で立つこと』を求められるもので

ひどく私を怖がらせるもので

もし失敗したら私は路頭に迷うようなものでした 

『絶対いや』と言う私を
先生たちは悲しげに見つめていたけれども

時間が経つにつれ

状況と事態は『八方塞がり』な様相を呈してきました

とにかく自分が苦しくて
『一人じゃ何もできない』と言う私自身に、私は苦しんできました

事態は刻一刻と
暗転していきます

ついに私は覚悟を決めざるを得ない状況になりました

高之瀬に電話をかけて
『そのようにして』と頼んだ瞬間

何かが割れる音がしました

それは思ったより
晴れ晴れとした音でした

覚悟が決まるとは、このような爽快な感覚として
私に訪れてくるものなのだとも思いました

鬼が割れた瞬間の音だったのだと思います

 

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クライアント様の体験は
日々、メールでも送られてきたりするのですが

この『割れた瞬間』を皆様、独特の表現で表していて

でも割と共通しておっしゃられるのは

『自分からバリバリと破片が剥がれていくようだ』
とか

『亀裂が入って、呼吸ができるようになった』
などなどです

しかし、この亀裂というか割れ目が入るまでが面白くて

もちろん私もそうでしたが
先生たちや高之瀬が外側から割ろうとしてくれているのはわかるのですが

最後のひと押しというか
その亀裂は

自分が内側から『押す』必要があって
それは、その
『鬼との訣別』をするという決心でボタンが押されるのです 

それはひどく恐怖感を伴うものでもあります

クライアント様の言葉では
『清水の舞台から飛び降りるより怖かった・・』ともおっしゃいます

そうして、私の場合は第一の殻と言いますか
鬼を剥がすことができたのだけれども

鬼を剥がすコツが掴めてきたら
自分でもバリバリと剥がせるようになります

 

一回鬼を剥がせたクライアント様は
どの方ももれなく求めていたものが手に入ります

最近のブームは『職』でしょうか

皆様、職種が変わられたり
ものすごく高い目標を持ったりするようになります

 

私の場合、手に入れたものは『自信』でした

初めて『自信』を感じた瞬間でした

今まで『自信』と思っていたものは魔やかしだったのだとも気づきました

ひけらかしたくなったり
誰かに見せなくなったり
誰かに認めてもらわなくてはならない気分になるのは
どこか違うんだとは思っていたけれども

『自信』に近いものって
ひとに認めてもらうことなんだと思い込んでいたのだけれど 

他人は関係なく

『自分が自分の一番の味方』なのだとわかった瞬間でもありました

 

鬼が心の中にいると
易きに流されて、怠惰な自分ではいられますが 

自分自身との間に絶対的な安心感はまず感じられません

これからもっと私たちは歳をとります

若さに自信を持ったり
見栄えに自信を持ったり
誰かに認めてもらうことで自信を持ったりの自信は

『不確定要素』の自信です

消えてなくなる自信です 

泡のような儚いものです 

 

カウンセリングでもたらされる自信は
『自分自身への確固たる安心感と 自分の存在感への安心感』です

スーパーバイザーは言いました

『どのひとも平等にそれを手に入れるチャンスはある』

スーパーバイザーは大事なことを最初に全て教えるスタイルで
言っていたことをこちらが理解をするのは時間が経ってから・・・ということも結構あるのですが

この教えももれなく
獲得するまで時間がかかりました 

 

それらを手に入れられたクライアント様たちは
ものすごく高みにいるように見えますが

ご本人たちは、もはや自分が高みとか関係ないと思っていらっしゃるのが面白いところです

『高みの鬼』も一緒に退治したからでしょうね

他人から優れて見られたいというのも『鬼』です

それがいる限り
鬼は圧迫して 押し潰してきます

そういう場合は
『優れて見られる』ということを手放します

自分が『軽蔑』しているものに自分が成ることで

『軽蔑』していたものの実体がわかることで
自分の中から『軽蔑の鬼』が消えていきます

世の中に軽蔑していいものなどありません

私の父親と母親は軽蔑がものすごい人でしたが
あえて
親が軽蔑している職種についたことがありました

それは母親が蔑視していたより
逞しくて とてもいい世界でした

母親は、一体何を知って
この世界を馬鹿にしていたのだろうと思う世界でした 

母親はいわゆる『知らない事が多い人』なのだと思いました

『無知』は『諸悪の根源』だとも言います

   

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