無条件の祈り

『無条件の愛』と言うものを
私も含めて
なぜこんなに人は欲しがるのかと言うことについて 

それは『報いる必要がない』からかもしれないと言うこともあるかもですが

そもそも人は
どこかでその『無条件の愛』を知っているからなのではとも思っています

この世に在る『無条件の愛』として
一番近しいエネルギーがあります

それは宗教も絡んでくるので
あまりここには書きたくないのですが

実際一番近いエネルギーは、在ることには
あります

そのエネルギーは
作為的(人為的)なエネルギーから
その人を守ります 

悪意とか 憎悪とか 呪いとか

そう言ったものに対抗できる唯一のエネルギーですが

いかんせん
攻撃的な要素を含まないエネルギーなので
『対抗』の場面では『対抗できない』

しかし弱いものは強いのです

『無条件のエネルギー』は
悪意とか憎悪とか呪いとかとは
ベクトルというか
在り方が違うので、効き方も全く違った形でその人にもたらされます

『悪に対抗』と言った『戦い』の形でもたらされるようなものではなく

智慧というか
恩恵というか

その人の『有り様』に深くもたらされる『祝福』と言った形で来ます

全く想像もしなかった形でくる場合が多いです

全く思いもよらないところから
いきなり
波がうち寄せるように思っていただいていいかと思います

私は
その波の出どころが
もしかしたら『無条件の愛』からくるのかもしれないなと
カウンセリングをしていて思います

私たちのカウンセリングは治癒という形を取りますが
私がその無条件の愛みたいなものをもたらしているわけではありません

在るところからただそれを『移行』してくるだけです

私自身は個人的に
無条件の愛を持っているかというとものすごく首を傾げてしまいます

プライベートは
そもそもお世話好きではないし
穏やかではない

ただ
わかる感覚として持っているのはただただ『哀しい』という感覚はあります

どの方を見ていても
『哀しみ』がすごい

先生たちによると
この哀しみこそが『無条件の愛に近い』と言いますが

私の中ではそれは人に対しての『哀しみ』として感じられて
個人的にはいつも苦しいです

哀愁というか
ただ涙が流れてきてしまうという感覚に近いです

これが治癒をもたらしているかは疑問ですが

この感覚でカウンセリングをしていると
『祈り』の感覚が私の中で出てきます

私はしつこく書きますが無宗教

けどどこかで何かが在るの感覚はあって
それは圧倒的で紙一重、隣にあるのに
決して触れることができない何か

カウンセリングでその『触れることのない何か』に祈るような感覚になると
そこからの恩恵やら祝福みたいなものがもたらされるようです

私の母親は宗教に狂っていて
『ああなりますように』とか『こうなりますように』と
祈りをコントロールに結びつけていたので
それを見て育った私は
『祈る』行為をひどく嫌っていましたが

私がやっていることが
どうやら『祈り』に近いことなのだと聞くと複雑な思いがします

しかし
どうやら母の『祈り』と私の『祈り』は
言葉は一緒でも
全くことなるもののようです 

そういえばテレビで
なんとはなしに『ルルドの泉の奇跡は本当なのか』を科学的に検証する
というものがやっていて

それを見ていたのだけど

ルルドの泉の奇跡は どうやら『信仰心』が引き起こしたものではないか
という検証結果で

要は『自分は治りたい』という思いと
『どうか治してください』という他力を信じる力とが
うまく相乗し

歩けない人が歩いたとかいう奇跡が起こるという検証結果で

なるほど奇跡は『もたらす力』と『もたらされる力』とが
うまく合わさって現れるものなのだ

カウンセリングではその力のバランスをうまく調整し
『もたらされる』ようにしていくこともします

ある意味『コントロールしないようにチカラをぬく』と言ったことです

祈りの極意は 
『コントロールしない』という境地に行くことです

祈りにコントロールが入ると
それは支配に近しい現象になります

   

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