性的虐待を受けてきた男性 

精神科医のスーパーバイザーによると
女性の性的虐待を受けてきた人と
男性で性的虐待を受けてきた人とは その『あらわれ』に差があるという

私も臨床でみていてそうおもう

女性の性的虐待を受けてきた人というのは
一見、とてもホンワカしてみえる

目のまばたきなんかゆっくりで

そして大抵、とてもカボソゲ

・・で天然と言われがち

竹下夢二の絵の女性を思い浮かべて貰えばわかるとおもうのだが
その女性のような雰囲気を醸し出す

ほとんどの娘は父親のことが好きでいることが多いので
無意識で『父親』が好む女性像を自分で体現していることが多い

対して例えば父親に体罰などをされてきた女性、
父親のことをとても嫌っていたと自覚されている方というのは
それはそれで
父親をガッカリさせるような、いでたちをされる

自分に性的な関心を持たれないようにと
わざと男性的な格好をされたりもする

 

私の場合、
母親は体罰がすごかったので
体罰を与えない父親に懐くことが多かった

なので当時、父親のことは割と好きだったし
父親をガッカリさせることはしたくないと思っていた

けども中学の時に父親からの過剰な性的なふれあいが多くなり

それから私はおかしな雰囲気を纏うようになったのを記憶している

なぜか
男の子のような格好をしたがり
幼くみえるように、試行錯誤していた

周りがアムラーなどの流行りで
女性的な装いをしていても
どうしてもそれが出来なかった

母親から揶揄されるのも怖かったし

父親からの目線が特に怖くて、考えただけで気分が悪くなってきてしまっていた

私が夜寝ている時に
部屋に入ってきて、ずっと撫で続けている父親は何かおかしかったと
やはり
私は自覚していたのだとおもう
(自覚していたからこそ わたしの場合は男性的な格好をしたりしていたのだとおもう)

私の娘は、もう成人しているのだが

夫が、もし娘をそのように撫で続けていたら
『変態』と言うとおもう

多分別れる(違う理由で別れたけれども)

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そういえば精神科医のスーパーバイザーは
ざっくばらんな人だったから

性的虐待をする側のことを

『変態ですね』

と言っていたな・・

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対して男性の性的虐待を受けてきた人の特徴としては

大仰で過敏なのに尊大だという

振る舞いが大袈裟で
とても偉そう
なのに過敏で神経質

男性の性的虐待を受けてきた人というのは治療が難しいと言う

まずご自身で性的虐待を受けてきたと言うことを認めない
(認めたらもうそれだけで治癒が進んだりもするのだけど)

そして『自分は偉い』と思っていて
それで自分で脳内アドレナリンとドーパミンを出すから

その中毒的な快感から逃れにくい

だから『治そう』と思わないし
むしろその快感を維持していくことこそが大事なんだと勘違いされている

ヒーロー願望が強く
周りからもそう扱われることを望んでいる

パートナーから
『そんなあなたとじゃ、やっていけない』とか言われたりして
やっと
『俺っておかしいのかも??』と思い
カウンセリングに通うも

本当の核の部分がやっと見えてきたな・・と言うところで
カウンセリングを中断されたします

劣等感や、自分がいかに空っぽだったかと言うことに
直面化されるので

『辛い』とおっしゃり怒って逃げます

やめる理由は大抵
『疲れた』です

だから
目下、カウンセリングに通われている男性は割と骨があるのだとおもう
(男性陣、がんばれといつも思っています)

・・・・・・

女性は『疲れた』なんかでは決してカウンセリングをやめません

差別される側で虐げられてきた側なので
なんとかそこから這い上がろうと必死です

自分が生きてきた意味を問い続けます

だって精神的に虐げられてきたら
そりゃあ、『なんで生きてんだろ』とおもうのは自然なことです

だから『生きててよかった』とおもえる人生を自分で掴み取るためにもがきます

 

11月に入り
私の元にクライアント様たちから、ものすごくいい知らせがきます

なんかのお導きなんじゃないかとおもうくらいのご縁が
どうも結ばれているようです

パートナーとのご縁ではなく
お仕事のご縁です

長年見てきた人も、こういったところに至るのか・・とびっくりするし

どうか
ご加護がありますようにと介入してきた人が
行った先で、思いもよらぬご縁に触れたりもあった

メールで『不思議があった』と教えていただくのだが

どの方も共通するのは
『自立』です

『もう誰も頼れない・・・!』となって
底力が出た時に
何かに引っ張られると言うことが起きます

どん底を見た方というのは、何かに触れるのではと思っています

自分の自我の限界を悟り
涙を流す時に
大いなる存在に
自分の身を委ねるしかないとなった時に

本当のご加護が訪れるような気がします

 

私がよくカウンセリングで『ご縁を結んでくださいね』とお願いしたりご案内したりするのですが

その先にある神様だったり
仏様だったりは
その人に合うのでは・・と思ったところをご案内しています

あとはその方が『身ひとつ』で
どれだけ、そのご神仏の前で正直になれるかということです

私の方としては事前に
そこの御神仏(教会のマリア様とか神社の神様とか色々あるのだけれども)に
お願いをしておきます

『今から行くと思います この方をどうぞよろしくお願いします』とご挨拶を送ります

あとは そこにいらっしゃる神様たちにお任せいたします

宗派などはあまり
こだわりが無いのですが

普段私が行っているところなどは
よくお願いを聞いていただけるような気がするので
おすすめに上がりがちにはなってしまいますが。

 

ああ、怪しいブログを書いてしまいました

私、アンチスピリチュアルなのに
なぜか仕事がスピリチュアルにきてしまうのはどうしてなのかな

ま いっか
クライアント様たちが良くなるのであれば良しとします