他者から (自分)を知るときの恥ずかしい感覚

密かに 実験を行なっていたのだ

エネルギー療法と
現代催眠
傾聴
そして
私のただ思いつくままに 話しを進めていく

といういずれが 1番クライアント様にとって
有意義なものとして 使えるか

結果として

私のただ思いつくままに 話しを進めていくのが
案外 良かったりもしたのが面白かったのだが

この ただの(話)のなかには
私にとっての 『洞察』があったりもする

現代催眠の先生や
スーパーバイザーの先生とのやりとりの一端を
クライアント様とシェアすることで

いわゆる 最先端のデータを
共有できるわけだから

そこから クライアント様が
みずから 何を受けとるか
読み取るかなぁ
気付くかなぁ

と みていると

皆さま いい『洞察』を手にいれられていくのだが

この『洞察』とは
案外 しんどいものなので

クライアント様によっては
合わなかったりもします

 

自分自身への洞察でありますから

今までの子どもの頃からの自分への眼差しに
『?』をもつところから始まる

『あれ、あの時の私 じつは ○○なんじゃないのか?』という問いかけを
持てるかどうか、が 分かれ目

最近 実は私もそんな 洞察が自分にあったのだ

 

きっかけは
鍋を拾ったのだ 私、かなり昔の話だが

当時 まだ 子供たちも小さくて
お金も全然無くて
鍋なんかも 買い替えられるような感じではない
台所事情だったのだが

憧れの鍋ってものがあった

鉄の美しい色彩の鍋

それが ゴミ捨て場に 捨ててあったのだ

ポツン、と。

まだ 世間知らずの 若い娘だった私は
穴があくくらいそれを見つめて

いそいそと 持って帰って 綺麗に洗ったのだけど

やはり 底の焦げ付きはとれなかった

そんな折に
近所の奥さまが 我が家に訪ねてきたのだが

そのにこやかだった奥さまの顔が
部屋を見渡して
その 鍋を見た途端、
変化したのを 私は気づいてしまった瞬間

わたし 何か 失敗をしたのだな

という 引き裂かれたような痛みを
胸に感じると 共に
恥ずかしい感覚になったのだ

ああ 私 ゴミを拾ってしまったのだ

と。

 

『他者』がいて 初めて『己』を知る

とはよく言ったもので

他者が (そのつもりは無かったとは思うが)
心の中で 『見下し』みたいのを感じると

やはり こちらは それを感じとり

己を知るのだなぁと いう瞬間が
『洞察』ではあるが

ちょっと 辛かったよね 笑

何より自分が 本当恥ずかしくて
『鍋、拾っちゃいけないなんてー』とか
『ダサい』
とか

しばらく それを思い出しながら もがいて

あの当時の 幼さ加減に
呆れたり 溜息ついたりしていたが

あれ?これ 私が教えて貰わなかったからだ
と、
母親のせいにもしたりしたが

娘に話してみたらば

『え?覚えてるよ

いきなり 鍋拾ってきて あれ 〇〇さんの
だったんだよね

なんで 拾ってきちゃうんだろなぁと思ってたよ』

と 言われて

もう 辛抱ならん…!と
2人で 爆笑してしまった

当時 幼い娘は 社会との関わりから
母親より早く
(社会のルール)ってのを 会得しており

まぁ こういう 他者との関わりで
人間は 己を知るのだ

娘よ、あんとき 7歳くらいだったよね
小さかったのに 『世の中のことわり』を
理解していたのね

母親が教えなくても、知ってた 笑

しかし それを
ぎゃあぎゃあ と笑えて、なんだかスッキリしたのだ

あーあ、ダッサかったなぁと
無知の当時を認められた瞬間でもあったのだ

 

よくアルアルなのは
それまで 母親が選ぶ服を着ていたが

ある時 お洒落な同級生をみて

初めて 自分の 『現実』をしる瞬間

今の今まで 疑問にすら思わなかった事が
他者を知り
いきなり 『障害』や『恥ずべきこと』になる瞬間

そのいわゆる『過去の自分への洞察』って
トラウマになってたり
恨みをもつ原因になってたり
(鬼)を腹に棲まわせる結果にもなったり

で 私の私自身への洞察は
現代催眠の先生からの
『ある一言』から 導きだされた ものでありました

その 『ある一言』は
先生の何気ない けど
計算しつくされたような無意識からの
お話しにより 出てきたものだから

それに 揺さぶられて
私の 本当の感覚みたいなものが あらわれてしまったのだ

なので カウンセリング中にクライアント様とシェアする情報や 話しは

いずれ 何かのきっかけになるかもしれないし


その部分に
私の自分の感覚を移行して話しをしています

 

 

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