どうして なんで は どこから来るの?

アインシュタインは「神とは自然法則そのものであり、人格を有するものではない。」といいましたが

全くそのとおりと考えるのが 虚無の人とひかりのひとでしょう

 

私も幼稚園の時に 母につれていかれた寺だかなんだかの前で 「ここに神さまなんか居ない 人間に祈らせる存在として神さまが存在するわけがない」といい  ぶっ飛ばされた記憶があります

それはともかく

わたしたちのカウンセリングは 今認識できる苦しみを取り除くカウンセリングとしてありますが

正直エネルギー療法をつかうと 途中向かうとこ敵なし…のような感覚になることがあります

しかし 面白いのが 皆さまのなかに 「最終満足度」が設定されているのかなあという仮説ができてしまうところです

 

それは 人智をこえている…といいましょうか  無意識のもっと奥の部分が発動するといいましょうか

行き着く先さえ 無意識によって 連れていかれる感覚なのでしょうか

どこまで自由になるかということを無意識が設定しているのではないか…とおもうことが多々あります

 

わたしの父は 支配者を母にもち  プラス 支配者を妻に持ちましたが

いかんせん支配され酔いの世界にすんでおり そこで良しと生きて居ります

(私なら生きていけないとおもうくらいですが)

 

しかし それはそれ 本人が生きる世界として そこに居るのであれば なんら問題はないのです

無意識が支配を支配として認識せずに一生を終えるのも それは 本人のことなので 他人になんやかんや言われる筋合いもないし 私が心配することもないのです

(どうやら 疑問もわかないらしい)

…以前の私だったら 支配は苦しいから 一緒に楽にならなくてはとおもったかもしれませんが

それも私自身が植え付けられた 支配による酔いの一種(万能感に近いかな)

今は こんなに身近に治療をできる 私がいても お互い 治療しましょうという気にならないのですね

 

ただ そんな中でも 繋がってくるご縁というものがあるのだなあと実感しております

無意識の力の凄さに圧倒され

何者にも邪魔されない自然法則というものの存在を身近に感じたりします

 

ここでひとつ

「なんで?」という疑問が不意にわきあがってくるときは わりとチャンス

「なんで私こんなに寂しい気持ちになるんだろう」

「どうして わたしはうまく生きられないんだろう」

「どうして 毎日苦しいんだろう」

 

それは 「こころ」と「無意識」からの →「意識」へのサインであることが多いです

無意識が 本来の自分を認識しているからこそ  今の意識的な生き方への 不安や怒り 悲しみという形でサインを送って居る場合がほとんどだからです

なので

だいたい治療を進めて行くと その「疑問」がわかない毎日を過ごせるようになっていく自分に気がつきます

オトハラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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