メタファーを読みとく

無意識的に私たちの脳内に刷り込まれたメタファー

メタファーとは日本語で『暗喩』と言います

暗喩とは
『物事を違う言葉で言い切る比喩表現の一種』です

例えば『桜の花びらが散る』という風景に『儚い』という感覚が表現されている
というようなもの

日本人は昔から『和歌』を読みあう風習があり

『和歌』に自分の気持ちをそのままダイレクトに詠むことは野暮とされ
ダサいことで避けるべき表現とされてきました

なので

有名どころでは
『好き』という気持ちを
『月が綺麗ですね』 と表したり

『花の色は移りにけりな』
というところでは
『私の綺麗だった容姿や華やかなものも 花の一生のように変化していたよ』
というように
自分を花に例えてみたりとかして

『あ〜あ 私、年とってしまっちゃうじゃん
私の価値って一体何なの!?』みたいな本音ではなく

何重にもオブラートで包んだ言い方で
自分を演出なさるのが
『日本の表現』としての最高峰だとされていた時期がありました

今もその奥ゆかしさのようなものは評価されていますが

しかしその『メタファー』では
本音が伝わりにくくなっているのが現代なのかと思うのです

ある意味、どちらも教養がないと
その心の交流はできないし

相手の敢えてのオブラートに包む『意図』も楽しめない

現代はものすごく『表現』が立体的に具体的になってきて

それこそ『妄想』や『想像』が
映像でリアルに体感できたりするようになってきてしまい

手軽に『脳の飢餓感』を満たせるツールが増えてきてしまったので

それこそ昔のように
『返事を待つ』ということに耐性がない方も増えたし
キレる方も多くなってきました

『待つ』ことこそが重要なのですけれども

『脳の飢餓感』は『不安』な状態のことです

『誰とも繋がっていないんじゃないか』
『自分のことなんて皆んな見捨てるんじゃないか』

という前提の感覚が根底にあるために

その不安を感じたくないために

『酒』『タバコ』『スマホ』『宗教』『思想』『ギャンブル』などの
『麻痺するもの』に自分を酔わせている状態です

けどこれらのものを使っても
『脳の飢餓感』は癒されることはなく
むしろもっと本格的な『栄養不足』に陥るのです

脳に本当の栄養を行き渡らせて『飢餓感』をなくすには
『面倒なこと』をする必要があります

手っ取り早くではなく

『本来は時間がかかること』にこそ、もっと時間をかけていくことが
実は一番の栄養になるののです

例えば、1日が忙しかったとして
ご飯を作る気がしない

そんな時ってコンビニだったり ファーストフードだったりで
手早く食べられるものを買い
流し込むようにして胃の飢餓感をなくす

そうするとやることは無くなるので
ネットやテレビをみたりして 刺激をまた探しにいく行動を取り始めるのだが

そこでまた自分より満たされていそうな人を見つけて
『飢餓感』が強化されます

すると余計にイライラして甘いものを買ってきて
そして余計に動けなくなって・・のループになり

次第に考えるのも億劫になり寝る

しかし興奮状態の脳はきちんと睡眠が取れるような働きをしていないので休めていない

現代だと、この体験は多いかもなと思うのですが

ここで、このループを切ることは
『食事』を時間をかけて作ってみること にあります

手軽に食べられるようになってきましたが
本来、食とは『時間がかかること』でした

その時間がかかること の『時間の中に没頭すること』で
人間は簡単に癒されるという仕組みが実はあるのです

面倒なことにこそ、癒しがある

労働にこそ癒しがある

というのはもう、笑っちゃうくらい矛盾した『めんどくさいシステム』ですが
これ本当なのですよ

偉大な、そして有名な本で
いまも読まれている名著の中には ほとんどこれが書いてあります

『ほしの王子さま』にも
『モモ』にも
『吾輩は猫である』にも
『夜と霧』にも

もっともっとたくさん
いやむしろ
これが暗喩された本が名著となっているのかもしれません

本を読むこと自体
めんどくさいことかもですが
実は『癒し』があるもの確かであります