
怒りは身体のどこに住んでいるのか
怒りを感じたことがない人はいないと思います
腹が立った
ムカついた
許せない
頭にきた
私たちは日常的にそう言います
しかし面白いことに
怒りは必ず身体を伴うのということに注目して欲しいなと思っています
怒りは感情であると同時に
『身体現象でもある』というところです
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カウンセリングをしていると
怒りがあると言いながら
何に怒っているか分からない人がいます
しかし
身体は知っています
頭では分からなくても身体はちゃんと怒っているのです
例えば
『頭に血が上る』という表現があります
本当にそうなのです
怒りが出ると
顔が熱くなる
耳が熱くなる
首が熱くなる
こめかみが脈打つ
目がギラギラする
頭皮が熱くなる
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これは戦うための怒りです
交感神経が一気に立ち上がり
身体が
『敵がいる』と判断した状態です
この怒りは比較的分かりやすい怒りです
表に出やすく
言葉になりやすい
反論したい
戦いたい
という方向に向かいます
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しかし怒りはそれだけではありません
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カウンセリングでよく出会うのは『お腹の怒り』です
みぞおちが固い
胃が重い
鳩尾が苦しい
腹の底が煮える
こういった怒りです
この怒りは
戦う怒りというより
長年溜め込んだ怒りです
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何度も我慢した
何度も飲み込んだ
何度も諦めた
その結果
身体の中心部に沈殿していきます
そして特に私が大切に見ているところとして、
お腹の底の怒りには
悲しみが混ざっていることが多いのです
怒りだけではなく
悔しさ
絶望
無力感
見捨てられた感覚
そういったものが
お腹の深いところで絡まり合っている
また
私の臨床感覚だと、悲しみが混ざっているだけではなく
お腹の怒りには『生存』が混ざっている
ということがよくあると感じるのです
例えば
* 生き延びなければならなかった
* 我慢しなければならなかった
* 飲み込まなければならなかった
という怒りです
腹の底の怒りは
もはや釜茹の状態でご本人もかなりキツイと感じられる状態です
だから
腹の底が煮える
という表現になると感じています
頭の怒りは戦闘
お腹の怒りは生存
みたいな対比があるのかなと感じています
だから
この怒りは簡単には消えません
むしろ
トラウマの治療が進むと『初めて出てくること』があります
怒りとの再会というものですね
今まで感じなかった怒りが急に湧いてくる
すると人は驚きます
『治療しているのに悪化した』
・・と思う
しかし違います
今まで麻痺していただけなのです
身体が安全になったからやっと怒れるようになった
これが実際にはよくあります
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そして
もう一つ特徴的なのが『背中の怒り』です
肩甲骨の間
背中の中央
首の付け根
ここに怒りを抱えている人がいます
この怒りは
『責任』と関係することが多い
『こうしなさい』と言われ続けた
などが固定化されてしまって背中にくっついてしまっている
なので背中は苦しがります
我慢し続けた怒り
背負い続けた怒り
誰にも言えなかった怒り
『私ばっかり』
という感覚が潜んでいることがあります
この怒りとの再会では
『役割』を求められた怒りなども関わってくるようで
そこは生存の怒りと直結しているところがあるなと感じています
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また『顎の怒り』もあります
歯を食いしばる
顎に力が入る
奥歯を噛み締める
これは
『言えなかった怒り』です
本当は言いたかった
本当は叫びたかった
本当は嫌だった
でも言えなかった
その怒りが顎に残ります
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私は最近思うのです
『怒りを乗り越える』という言葉は
少し違うのではないかと。
怒りは
身体からの手紙です
『ここで傷ついた』
『これは嫌だった』
『もう無理だった』
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そういう手紙です
だから
怒りを消そうとすると
身体はさらに大きな声を出します
頭痛
肩こり
不眠
パニック
焦燥感
身体が代わりに語り始めるのです
だからまずは怒りをなくそうとする前に
身体のどこに怒りがいるのかを見てみることが第一歩です
頭なのか
胸なのか
みぞおちなのか
お腹なのか
背中なのか
顎なのか
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そこを感じることが
実は怒りとの対話の始まりでもあり
身体からの手紙を開ける瞬間でもあります
怒りの奥にはほとんど必ず悲しみがあります
怒りだけの人はほとんどいません
怒り続ける人ほど
深いところには
誰にも分かってもらえなかった悲しみや
失ったものへの哀しみが横たわっているのです
なので私は
怒りを治そうとは思いません
(もちろん怒りを感じ続けることは苦しいので
アプローチはするのですが
悪者として扱わないというスタンスを取ります)
怒りが
何を守っていたのか
どんな悲しみの上に立っているのか
そこを一緒に見ていく
その先で
怒りは消えるのではなく
少しずつ形を変えていきます
怒りは
敵ではありません
身体が生き延びるために持ち続けてきた
大切な感情でもあります








