遥かな思い出

あんな鬼畜のような母親でも
憎みきれないのには どうやら訳がありそうです

母は、弟が脳性麻痺の状態で生まれた時点で
私の面倒を見れないと思ったと言っていたことがあります

しかし当時の私は二歳児

なので
いっ時だけの英才教育を施したと言っていました

それが本の読み聞かせ

確かにある年齢の記憶として
私には母の本を読んでくれる声があります

しかし多分それは半年くらいで終わり

母からは絵本を読むテープをずっと渡されておりました

『チョン!』と音がすると
それは次のページをめくる合図

そうやってテープから読まれた絵本を繰り返し繰り返し聞くことで

私は本当に
本好きになってしまい

寝ても覚めても本が手放せない子になりました

小学校に上がるころには文庫本をなんとなく読んでいたのを思い出します

けども半年間でも
母が読み聞かせてくれた、あの声は記憶にあり

読んでくれた文庫本の匂いさえも覚えています

これは私の中での大切な思い出だし
今の私のいっぺんのかけらにもなっているのではと思っています

どうやらこれで
私は母のことを憎みきれないようなのです

 

あとは何回か髪の毛を結んでくれた思い出

母の手はひどく力が強く
髪の毛を梳かしてもらう、その櫛はとても痛いのだけど

けど編みあがったおさげはとても嬉しかった

ギチギチにキツく結ぶものだから
形状記憶のおさげみたいになっていて

緩やかな、垂れ下がるおさげがいいなあと思ったのだが
それはいえなかった

些細な出来事よなあ・・と思う

 

私は娘を育てたが
娘からそんなことが嬉しかったというエピソードは聞いたことがない

多分日常すぎて、娘からは出てこないのではあと思う

けど
私には、私の母との思い出はこれなのだ

 

子供は親を憎み切ることができるのか

それはとても困難な工程を経ると見ています

カウンセリングでも
葛藤に苦しむ方をたくさん見てきました

でもこれはこれでいいのかなとも思うのです

憎みきれないままでいいとも思っています

カウンセリング中の介入では
ピンポイントのトラウマだけに焦点を絞って治癒していきます

すると
母親への特別な思慕みたいなものが変化してくることがあります

それを待つのもいいかなと
いつもクライアント様を見ていて思います

 

特別な思慕みたいなものは
郷愁みたいなものともよく似ています

遥か遠くにある
懐かしさと言いますか

手を伸ばしても届かないもどかしさと言いますか

それはもしかしたら
胎内の記憶に遡れるのかもしれません

温かく守られてきた記憶をただ引きずっているとも考えられますが

それがどう変化するのかを
ただただ
自分の中を見守っていくというのも

自分の人生の一片なのかもしれません

   

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