親が蜘蛛

小さな頃、作文が苦手でした

この頭の中にある煽れんばかりの感覚を表すのに
その頃の私が知っていることばは非常に語彙が足りませんでした

例えば
『花火を見に行った』というお題で
絵日記を書かなければならないとき

私はいつも困惑していました

花火はもちろん、体感として迫力があったので
それを表す言葉を自分の中から探し出すのだが

どうにもしっくり表せる言葉がない

幼い自分が知っている作文用の言葉といえば

『面白かったです』
とか
『すごかったです』とか
『きれいでした』などで

それでは私の中のこの感覚が伝わらんのよなあ・・と
いつも歯痒さを感じていました

自分の中に湧き起こる本当の感覚を外側に伝えるには

ことばが足りない

『言いたいことが伝わらない』ことがよく感覚としてありました

鬼子母神の話をご存知でしょうか

仏教のお話ですが

この鬼子母神となる前

鬼女が王舎城に出現して,民衆の子供を奪い食ったが,釈尊に教導され,五戒を受け,以後王舎城の守護神となり鬼子母神といわれるようになったとか 

一説では

要は、村の子供を喰いまくった鬼が
間違えて自分の子供も食べてしまい悲嘆に暮れて仏教に帰依したとか

もしくは
自分の子供を食べてしまい
悔いて仏門に入ることで
子供の守り神となったとか

鬼おんなが村の子供を食べすぎて
仏に自分の子供を隠されてしまい
自分を悔い改めることで
子供の守り神になったとか

インドのお話と言われるが

日本の彼方こちらでも
この『鬼おんな』の話は昔話として存在しておりました

私は母のことを
この『鬼おんな』として見ている子供でした

子供を喰らう鬼なんだと
子供の頃は、母親をそう見ていました

この感覚を、口に出して説明するのは
子供にはとても難しいことでした

しかし心のどこかで
いつかは縁を切るのだろうと
わかっていた節があります

自分の親を『鬼おんな』と認識していた子供は

恐怖の感覚に耐えきれなくなってきておりました

言葉をたくさん知っていたら
もしかしたら
少しはこのトラウマも形が違っていたのかもしれません

しかし言葉が圧倒的に少なかった年齢の時に

感覚だけが膨大に膨らんでいくというのは
トラウマもちの方の幼少期の特徴でもあります

この感覚を感じ続けることは
子供の時には負担が多すぎるので

体を固めたりして
不快な感覚を固めたり押しやったりします

それが解離の始まりだったりします

クライアント様たちに
『親の印象』を思い出してもらうと

結構重篤な感覚をお持ちなお方々が多いです

『父親はヌメヌメした触手を持っている』(エイリアンか・・)(てか本当にエイリアンなんだよなあ・・)

とか

『母親は槍を持って突いてくる』(蜂か・・)(てか本当に攻撃的な針を持っている方なんだよなあ)

・・実際 蜂の攻撃をリアルで受けているクライアント様もいる

とか
私でいうと
鬼おんな以外で『蜘蛛』にイメージが母親に対して持っており
蜘蛛に食われるという恐怖心を持っています

この恐怖感や嫌悪感というのは
しっかり大人の自分が言語化してあげる必要があります

そして介入をして
その苦痛を消去(昇華)してあげるプロセスが必要です

時間は多少かかりますが
きっちり距離を取っていくようにすることは可能です 

それにしても思い出すと
親のことを色々な感覚で捉えていらっしゃる方の多いことよ

『妖怪』とおっしゃる方もいました

『ガマガエル』という方もいらしたし

でもよく聞くのは
『人間ぽくない』と言った声

自分の親のことを
『人間ぽくない』と感覚で感じながら育ってきた子供の気持ちを思うと
切なくなります

   

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