自分と遊ぶ

私の目は一重になったり二重になったりする

小さな頃、自分を観察していた記憶がある

自分の身体にどんな模様が入っているのか

・・それは『ほくろ』という名前で 身体中に点在し
  擦っても何をしても消えない不思議なもので
  私はずっとそれを眺めていたりするのに飽きなかったし

自分の爪とか

指の曲がり具合とか 

自分の腕とか

毛の生え具合とか

色の白さとか

髪の毛の手触りとか

自分自身の身体と向かいあって
それと遊んだり 自分の身体の感覚を味わってみることは面白いことでした

その中でも自分の瞼というものは
気づくと変化しているもので

それを不思議だなあと眺めていたのが記憶に有ります

その時、私は自分の身体をとことん感じていたが
自分に自分でジャッジすることは無かった

いつから私は自分の身体をジャッジするようになったのかと思う

覚えているのは
幼稚園

たくさんの私と同じ小さき人たちが集まった時の衝撃といったら無かった

こんなに小さい人たちがいるんだ・・・!
  と
自分のことはさておき
同年齢が集まる時の奇妙な感覚を今でも覚えています

それまで
こんなにたくさんの同じくらいの小人を見たことが無く

小人がたくさんいるその場に着いた途端
その瞬間に『比べる』という初めての感覚が湧いてきたのも覚えています

変な焦燥感に駆られたのも思い出す

これはとてつもないところに来てしまった・・・!
みたいな
逃げ出したい感覚もあったと思う

同年齢に会うというその体験をした瞬間に
自分のことが客観的に見え始めるという、ある意味天地が逆転したというか

天動説から地動説になったコペルニクス的感覚というか

私にとっては
今まで自分を中心に考えていた土台が揺らいだ時でもあったわけでありました

その中で、もちろん私は馴染むことができない子供でした

みんなが制作している時に
廊下を一人でハイハイしていた記憶とか

給食に手をつけられないが
お残しは許されていなかったので
ご飯をぎゅうぎゅうに押しやって
『半分食べたよ』と嘘をついたりもした覚えもある 

そして、それより何より

私は、いつも人の視線の先を追ってしまう癖があり

私はその時に
人は何を見るのかということを学んでしまったところがある

私と同じ小人の園児たちは、皆
『見た目のいい子』を目で追うところがありました

その見た目のいい子はどうやら『人気者』という者らしいのです

人気者たちは、いつも笑っていました

だって人気者ですから周りに人が溢れているのです

寂しくないのです

いつも誰かに遊ぼうと誘ってもらえて
引っ張りだこということをされているのです

私は誰かに一緒に遊ぼうと腕を引っ張られた経験がありませんでした

花いちもんめで
名前を呼ばれることもない子供でした

どうやら私は人気がないようでした

誰も私に目を止めないようなのです

それはかえって好都合なきもしていましたが

すると
母の私に対して向ける目線の理由もおぼろげながら理解できてくるようでした

私はおそらく
母の目からも人気がないらしいのです

人気がないということは
すなわち
私は居なくてもいい存在らしいのです

ムクムクと自分に対する感覚が変わってきたのもこの頃からとはっきり覚えています

自分に対する嫌悪感
自分への苛立ち

それまで純粋に自分の身体と遊べていた感覚は遠くへ行ってしまったようでした

どうやら
私は変な身体を持っているらしい

この変な身体だと如何やら『あたたかな扱い』はされないようだ

それを感じた時の土台は今でも私の中にあるようです

私はひどく『冷ややかな対応』を恐れ
人の冷酷な目線を怖がっています

しかし知ってもいるのです

昔、何も比べるものがない時代には
私は私と遊べていたということも。

それからというもの、色々な虐待もあり
若い頃は自分と遊ぶことは難しくなってしまいましたが

現在は徐々にですが『自分と遊ぶ』感覚を思い出しつつあります

自分との遊び方も歳をとって、いつの間にか変化していたようです

私は触感が大事なので
手触りがいいものを触って 自分の感覚を何時間も味わうことが
実は自分にとっての遊びなのだと気がつきました

色々な『色彩』を一気に見ると異常に興奮するところもあり
それは今でも大事な自分の中でも遊びです

誰かに腕を引っ張られなくても
多いに自分と遊べていた時の感覚を思い出すにつれ

私は自分のことを好きになっていているようです

   

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