私の中の 『罪』

最近よくクライアント様から 
『間違ったことをしている人を見るとイライラしてしまう』
という話しを聞きます

そんな時
私は自分の小さな頃の苦い思い出を思い出してしまうのです

それは
小学3年生ごろだったと思うのですが

クラスで『シール』が盗まれたのです

その当時
女の子の間で
シールをどれくらい持っているか…が
ヒエラルキー(力関係)に反映されていたのでしょうか

どれくらい可愛いシールを持っているかで

羨ましがられたら 『頂点!』みたいな
おかしなパワーバランスがあって

それは万国共通なのかもしれませんが

『持っているものが強い』
という力動関係を 
子供ながらに皆 ちゃんと理解して取り入れていて

なので 
よく親に買ってもらえる子はやはり強いのです

そして そんな
ある日のことですが 誰かが『シールがない』という事態になったのです

もう わたくしの記憶は朧げなのですが

一人 
いつもシールを持っていない女の子がおりました

その子がシールを、しかも無くなったシールを持って
周りの女の子達に配っていたというのです

ざわめきたつ女の子の群れは
たちまち その情報を聞くやいなや
『その女の子が盗んだに違いない』という結論に達しました

そしてその女の子を呼んだかしたのでしょうか

おそらく問いただしたかなんかを
したのだと思うのですが
女の子は『盗んでいない』といったのだと思うのです

それでは らちが開かないので
先生に誰かが言いつけて
女の子全員が 別室みたいな場所に呼び出されました

1人ずつ 先生に
『あの子が盗ったと思う?』 と聞かれた女の子達は

『盗んだと思う』と答えていました

実は 
その盗みの疑いをかけられている子と わたしは
少し似ているところがありました

兄弟が『特殊学級(その当時の結構重めの障がいを持つ子がいくクラス)』に通っている
という共通点がありました

その子のお兄さんが、そう で
私は弟が、そうでした

だからいつも私達は 運動会とか
休み時間とかは なんとなく肩身が狭いというか

足を引っ張って注目を浴びたり
嬌声をあげたりする兄弟を
引っ張って大人しくさせたり

動かなくなる兄弟を連れて帰ったりして

それで『偉いね』と先生達から褒められたりすることも
お互いに見ていて

それが褒められるから『特別感』のようなものもあるのも
お互いに分かっていて

なんとなく『障がいを持つ兄弟がいる自分』は
変で居心地の悪いポジションをいるよな
でも 何故か それが よく認められる
というのを思っていました

だからよく 彼女が目についたのです

そしてその彼女が盗みの疑いをかけられている

私は彼女の母親がどんな人かもなんとなく知っておりました

いつも声を荒げる母親だったような気がしておりました

だから先生に
『あの子がとったと思う?』と聞かれた時に

私自身が小さい頃に窃盗癖があったこともあったし

あの子の母親は
うちの母親に似ているから
子どもにシールなんて買わないだろし
買う暇も無いだろうし

と、その瞬間色々な思いが駆け巡り

『盗ったと思う』
と言ったのをよく覚えているのです

見てもいないのに。

知りもしないのに。

状況だけで 自分に似ているから
私はそう断罪したのです

放課後まで
聞き取りは続いていたような記憶があります

その子は 先生に問いつめられてもずっと
『盗ってない_』と言い張っていたようです

そして
それから数日して 風の便りという噂話が流れてきました

『あのシール、お母さんに買ってもらったらしいよ
誰かがお母さんに聞きに行ったら
そうお母さんが言ったらしいよ』

という
その子のお母さんの話をきき
私は ものすごく変なショックを受けたのを覚えています

その当時 
私もシールを買ってもらえる子供ではなかったので

『あんな怖そうな母親でも 娘にシール買ってあげるんだ・・
  うちってなんで 買ってくれないんだろう・・』

という『うちの母親の方が優しくない』ということで
打ちのめされ

しかも そこはかとなく
まだ私は彼女を疑っていて

『彼女の母親は 娘を守るために
 買ったと嘘をついているのかもしれない』

とも思った自分がいることにも驚いたのです

その私が
勝手な妄想をした自分自身に気づいて

私にとって、 うちの母親が

『お前はこんなに悪いことをした!』と 

いつも私に折檻してくることにも
ものすごく悲しく思ってるのだとも気づいたのです

だからこの時
疑いから守られたあの子を見て 
とても悲しかった

うちとは違い
あの子の母親は
同じ障害をもつ子を育てながらも
他の兄弟を守る人だったんだ

子どもを守ろうと思えば 出来るものなのに
うちの母親は、それを 私にしないんだ

いつもルールという規律や
約束事という一方的な圧力のもとに

それを遵行できないと 
母は周りにも私の罪を言いふらし 
大袈裟に『この子はできない子だから』と
憎々しげに叩いたりする人で

でもそれは
『家族に障がいを持つ人がいるから
ストレスが溜まっているのだ』と

私は母親を庇った見方をしていましたが

そうではなく
ただ単に ストレスを当たり散らすことで解消するという人だったということが
今は分かりましたが

冒頭の
『間違ったことをしている人を見るとイライラしてしまう』
というエピソードを聞いた帰りに
いつも思い出すのは 決まってこの思い出なのです

さて 精神力動的に
私が
彼女が罪を犯したと 断罪した心の機微を分析できますでしょうか 

カウンセリングでは
このような 小さな頃の話を聴きながら

『心に刺さった棘』を 一緒に
溶かしていく作業をしているのです