きくより みる

こころは聴き従うものばかりではない
と、つくづく思ったのは 最近であります

クライアント様を見るにつれて

ぼんやり思っていたのは

皆 聴きすぎなんだよな

 

そうしたらばスーパーバイザーの先生からも

『聞くだけの姿勢は そこに耐性がないとね… 🤨』

と来た

 

聴く、というのは
受動的であり そこに ノイズや邪魔が
混ざってしまうから惑わされるのだ

方法を誤る

先週聴いたことと違うときもあるし

ついさっきと
違うときもある

というのも
その時の (衝動)に邪魔をされるし

なにより

本当にヤバイときってのは
こころの声より

直感から響くチカラの方が 断然強い

だから
焦って答えが欲しくて仕方ない時などに
聞こえる声みたいなものは

ある程度は頼りにするが
そこまで依存はしない

というのも
昔、心にきいて 衝撃だったのは

『私は 感情をもちません』という
声だったのだ

じゃあ なんで 返事をするの??

なんで私を助けてくれるの??
と思ったが

『嬉しいという感情をもちません』と
答えた (それ) は

今となれば とても良かったのだ

そこは 人格などもたない部分で良かったのだ

 

何故人格を持たない部分だったから良かったかは
いずれ 詳しく書くが

無意識には(層)があるということがポイント

何に繋がっていくのかは
運が ものをいうのではないかというのが
我々の見解です

もう個人の範疇を超えているから
どうしようもない

私達は ただそれを
観る事しかできない
伝える事しかできない

 

なにはともあれ

そうか
人生を生きるのに 『正解』をきいて
従ってくなんて つまらないな

と思って生きてきた私個人の
器質と性格の故でありますが

むしろ 私は
『こころは 見る、観る、視る』ほうが
いいと思う

私の心は 何に反応しているのか、観ていく

私の心は 何に恐れているのか、視ていく

そこに
『聴く』の余地はない

積極的 心との関わりと 距離を
ガンガン詰めていくなかで

心との対話みたいなものが
揺るぎなくなってきた感覚はあります

『聴く』なんて、なまっちょろいのよ

誰でも
エセ占い師か

それよりも

自分の事を観ることを 恐れるな
と 強く思う

心に救いを求めてやまない幼児的な自分が
そこに 見えてくるはず

成熟した心は
自分の衝動を自分で受け止めるのだ

 

好きな相手を食べてしまいたい衝動
(行き過ぎるとカニバリズムだが
案外 皆様 ありますよ、これ)

好きな相手を 泣かせたりしたくなる衝動
(俗に言うサド 困る相手をみて ゾクゾクしちゃう方、これも結構いますよね)

行き過ぎると
好きだからこそ 自分が それを壊したい衝動なんかも
持ち合わせてる方も結構いて
(幼稚園時期に 他の子が作った 積み木や 砂山を崩して廻る子とかは
そのタイプに近いかも)

それらを ただ 大人になっても
持ち合わせてるに過ぎなくて

今の自分の目線から
そんな 幼児性を とことん 見てみたらいいと思う

私の幼児性は
(ダラダラしたい)がまだ燻っており
幼児期に満たされてなかったんだと思うので

とことん それを満たすように
個人的な時間は それに廻す

また (綺麗なものをひたすら眺めていたい)感覚も まだまだあるから 満たすことに時間を使う

それでも
自身で 手に負えない(衝動)は
こちらからの課題で 安全に ロックをはずし
解き放ちますが

 

幼児性のなかでも 要注意が
(依存性)であります

母親を欲している

父親を欲している

このあたりには カウンセリングで
適切に 距離をとりながら

自己の衝動を見られるくらいまで
成熟させることが大切になってきます

で 何が言いたいかと言いますと

心に聴くって
間違ってたやり方で やり続けると
ただの(幼児性)を強化するだけなのです

つぎ、何すればいい?

お菓子食べていい?

歯を磨いたほうがいい?

ねえ、
私は幸せになる?

なんだか まるで
ママンに ただ 甘えてるだけみたいだ

精神は
目を合わせて 対話して
育てていくものです

うちにくるクライアント様がたは
聴く必要がなくなり

替わりに

自分自身との(魂の対話)的なものを手に入れて
人生を歩まれていくので

自己啓発本は捨て

他人のブログを読まなくなった かわりに

自分自身の時間の使い方をも
手に入れて…

と変化されていきます

 

 

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