がんじがらめの正体

トラウマの話が続いて恐縮なのですが
誰かの何かの参考になれば
刺激になればと思い ここに綴ることにします

トラウマとは
『ストレスで持っていることが困難な感情を凍りつかせて、なかったことにする』
『切り離してしまう』
『感じないようにしてしまった感情がそのまま冷凍保存されている状態である』

という説がありますが
どれもあっていると思います

私のカウンセリングルームでは
クライアント様がトラウマになるくらいのストレスを感じた場面に一緒に飛んで行きます

 

結構多いのは『食事風景』

・・家族揃っての食事が、拷問のようだった
・・・いつも食事の仕方をきつく躾けられて食事の味がしなかった

というシーンが観られることがあります

その後、ご本人も『思い出した』とおっしゃって
色々語られてくることが多いです

また次にあるのは『学校での風景』

・・・理不尽な叱責を受けた
・・・理解できない扱いを受けた
・・・みんなの前で辱められるような扱いをされた

など学校でのトラウマが多いです

こちらは『恥』と『怒り』の感覚が同時に思い出されるので
どなたもしんどそうではあります

 

こういった単発のトラウマだけでも
処理して癒していくのは結構大変なのですが

しかしカウンセリングで介入して
ものすごく大変なのは『長いこと感じ続ける不快感を伴うストレス』
で出来上がったトラウマを処理するときは壮絶です

これはもう『軸』が侵食されてしまっているような感じで
時間が多少多くかかります

cPTSDの原因になると言われているような比較的強度な長期的な虐待と比べて
よりわかりにくい日常的なストレスがどれだけ人に影響を与え続けるかというデータは
まだ明らかになってはいませんが

カウンセリングで見ていると重症。

なんというか、
長時間露光され続けてできてしまった火傷のように
深部にまで損傷があるのが見えたります

 

さてそんな長時間にわたってのストレスとして
よく見られるケースは
『長い間に渡り、罰を与えられるトラウマ』のケース

人間は
『ズルをした人には、
それ相応の罰を与えたくなる心理』というのがあります

この感覚はとても厄介で
そのうちこの罰を与えたくなる感覚についてもブログで書きたいなと思うのですが

人は、自分以外の人間が『狡い』ことをして
自分より『利益』を得ることにとても強く反応し、刺激を受け、怒り狂います

この感覚は、結構身近にあるのですよ

例えば
『生まれつきの才能』とか
『生まれつき恵まれた容姿』
とかは

『神からのズル』と捉える人が多いのです

『狡い』とまではいかなくても
『その人の努力で得られたものではなく、
運が良かっただけじゃないか』
という理解になってしまう。

『自分の運の悪さ』を目の前に突きつけられることは
人間にはとてもストレスなのでしょうね

どこかで、相手のその『運』が
転落することを祈ってしまっている自分に
気がつくことが多いのです

『相手が転落すれば、自分はその人を見ても
自分の運の悪さにストレスを感じなくて済むから・・・・!』

という切実なストレス回避の思考です

そういう方の脳内に、よく鳴り響くのは
『ザマアミロ』ということだったりします

相手の不幸を、自分の恵みとしてしまう感覚です

脳には他人の不幸が蜜のように
感じられる部位もありますしね。。

カウンセリングをしていると
この脳の部位が発達してしまい
捻れて苦しい感覚によくであったりします

クライアント様はどなたも、
そりゃあ 苦しい思いはしたくない

けど、どうしても
相手の不幸を願ってしまったり
自分の方が恵まれているといった証しを求めて彷徨ってしまう・・
ということがやめられないという

かといって
相手の喜びが、自分の喜びとして感じられない

と仰ります

この場合はドツボにハマった、
その沼からとりあえず救出することを最優先にしていき、
他人と関わり合うことから『すいも甘いも』も体験していただき

トラウマや怒りの感覚を癒していくのですが

ここで引っ掛かってしまうのは 執着が強いパターンです

執着って『欲』だから
悪いものでもないのですが

いかんせん、欲が多いと不便ではあります

『欲』に振り回されがちになってしまいます

また、『欲』って
いくら満たしても
満たされ続けないという側面もあり
キリが無いのも特徴ですしね