春をまとう人

お会いすると 背後に
沢山の映像が見える方がいます

映像だけというわけでもない

匂いもするし

風が吹いてくるような方もいる

独特のリズムが
ビートとなって刻まれている方もいます

あとは
熱量みたいなのを感じる方もいます
・・実際カウンセリングをしているとこちらは暑くもないのに汗ばんできます

私が得意とするのは
嗅覚と視覚なので
たいていは
視覚的に見えて、嗅覚的に嗅ぐわけなのですが

今の季節、春の存在を感じる方なんかもいらっしゃいます

普段、どういった過ごし方をされているかということを
具体的に伺がってみると

よく季節感を感じながら過ごされているそう

今の季節は
作ったおむすび🍙なんかを
外のベンチで座って召し上がったりされたり

移動は自転車か歩きだったり

地に足をつけて
季節を感じる生活をしている方からは

季節の匂いと 花びらがフワリフワリと
舞い散るような感覚が拾えます

対して
いつも人に勝ちたい とか
動きたく無いという方々からは

硬い円柱の匂いというか感覚がします

何なんだろうと思っていたのですが
井戸のような、のか

閉じ込められてしまったのか

井戸から出るのに掴むとこも無いから
ズルズル滑り落ちてしまう重さを感じたりします

ただ そんなのが見えない方々もいらっしゃるし
毎回見える訳では無い方もいる

目の端を
横切るチラチラした黒い影とか

点滅する光とか

ウロコ状のものに触れてしまった感覚とか

諸々感じたりします

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さて、私が感覚として感じていたものの正体は
自分で 小さい頃に『もうこれはいらない』、と閉じてしまったものも多かった気がします

多分 どの方も
感覚としては 『共感覚』として
お持ちだったんではないかと思います

意識を向けていれば元々持っている共感覚は際立ってきますし

共感覚を持っている方のそばにいると
共鳴して
その感覚が伝染してきたりします

カウンセリングは かなりこの感覚が鍛えられます

修行のようです

吐いたりも 当たり前にあります

また
人には『悪意のようなもの』があるのだとも
カウンセリングの仕事をして 共感覚で実感したことでした 

ギザギザした『悪意』は

それ自体だと
持って生まれた持ち主を攻撃してしまうので

誰かにその『悪意』を向けて撒き散らしていくことで
『悪意』をもつ自分自身を守る必要があると
ご本人は思っているからなのかなと思います

けれども
その『悪意』は誰かに向ける必要もなく

自分で『昇華』していくこともできるので
カウンセリングではそのようなこともします

『悪意』の存在が悪いわけではないが

ただ 『悪意のようなもの』が あると人生に『不便』が多くなるようになっているのは
世界の粋な計らいでしょうか

その不便を乗り越えたら
必ず 自由に触れられるようになっているのは

神様からの慈悲なんでしょうか

大きなうねりのような人類の無意識に触れた時に
私はいつも畏怖の感覚を味わいます

例えば
春をまとうような

季節の風を感じる生活をしていると

必ず その人は
『季節のような人』になります

たゆまず
あらがわず

深い広がりを感じる感受性があらわれます

たまに、風に触れてみてくださいませ