エロ本からの

オリンピックで 日本にくる外国の方々に
面子が立たないからと

コンビニに、いわゆる『エロ本』が 徐々に
姿を消してきている

日本って国は

女性がフェミニズムを語り出すと
そこに、唾を吐き

しかし 諸外国には めちゃくちゃ動作が早いな!と
そっちにも驚くが

ふと 油断すると 未だ 置いてあるコンビニに
出会ってしまう

 

トイレの出入り口らへんに
それらは ちょうど いいポジションをとり
鎮座しているのだが

この間、それを
なんとなく、まじまじと眺めてしまった

『乱れて』
『檻』
『嫌がり? 身体は正直』

と 書いてある

…うん?

ううん?

おい、待てぃ!

と 自動的に 意識がシャッターを
閉める気持ちになってしまう

つねづね、『エロ』という存在には
たくさんの側面や
想いが 内包されていて

それにより 沢山の 人間が
それぞれに
ギュッとした 喉の詰まりみたいなものを
感じながら生きているような雰囲気がある

一方を語ると
一方がよじれ

一方を 真っ直ぐにすると
一方は 散り散りになり

まぁ 本当に 『エロ』や 『性』は
立場からは 語れない

また そこに
『身体のコミュニケーション』が加わり

それにより 『癒し』や

新たな『ストレス』が発生したりもして

気が遠くなるのだ

 

これは 単に
悪とか 善とか
正しいとか 適当な、とかではなく

1人ひとりが
コミュニケーションを見ていく時代に
なってきたのかもな、、とも思うのです

 

だから コンビニにいくと
女性が
『刺激的な扱いに感じる』みたいな
本が多く

その、世界観には クビを傾げてしまう

受け身の相手が
『汚されたり』『壊されたり』する事で

『女性がそれで満たされた…!!』って感じることを
万国共通のように 捉えて発信する
社会には

ストップ❗️と 思いとどまってほしい

そうではなく、

私は コミュニケーションする相手と
『コミュニケーションをとる』という事を
勧めたい

『女性だから 責められたら 感じるんだろ』と
ひとくくりには しないでほしい

『女性だから 奉仕して当たり前なんだろ』とか

ずっと そんなん 当て嵌まる訳ない

年齢によっても違うし
個人によっても違う

大事なのは

『目の前の相手とのコミュニケーション』を
していくというコミュニケーション

その、コミュニケーションには

目の前の相手が
『何を感じるか』
『どう 考えるか』を
お互いに 聴きあって 構築していくことから
始まります

カウンセリングみたいな、もんです

私が 不安を感じているクライアント様に対して
『普通の人は、不安とか 持ってますよ〜』
なんて申し上げたら

まず コミュニケーションは 終わるでしょう

カウンセリングには いらっしゃらないでしょう

人は 『普通』や 『肩書き』の
話をしたい訳ではなく

触れ合ったり 語り合ったりしたいから

言葉を
それこそ、音楽のように 相手に 降り注いだり

言葉で、相手の涙を拭いたり

言葉で、相手の気持ちに
火を点けたり もするのです

どうか

『あなたは、どう思う?』

っていう言葉が
どうか 2人の間で 美しいものとして
存在したら いいなと 思っています

 

 

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