はじめに なにが

確か

はじめに 言葉 があった

…ん、だったっけ?

私 それ 違うと思っているのです

私が 正しいわけではないので
考えの ひとつ として お読み下さいね

 

生まれてきて 人間を見て
そして 自分も人間をしてきて

自分を使って あらん限りを生きてきて

はじめにあったのは 光 なんじゃないかな
…と思う

と言うのも

現代催眠の先生に
何時間も 座学を受け

ワハハと笑い

そして先生が気が向いたときに 瞑想をして
私の話を 深いとこに持っていくのだけど

瞑想を二人でしていると

2人で 言葉が無い世界にいて

そこに 先生を感じるのだけど
近くて 遠いような

まるで 先生は さざ波のひとつで

そこには 自分との境界線もなくて

丸い ただ 在るという世界にいる
自分を感じるのだけど

そこから 意識の ガチャガチャした
彩とりどり の世界に また戻ってきたときに

いつも思うのは

『この瞑想のポワンとした 白い世界って
孤独が無いなぁ』

と 振り返ってしまう

けど 今 私たちが生きている世界て

言葉で 何もかも が表されていて
ギザリ ギザリと区切られていて

だから
言葉って
めんどくさいなぁとも 思ったりもする

 

けれども
私の救いは

瞑想の 先の 悟りの世界って

言葉じゃ介入出来ないということ

これって 凄くないですか?

 

どんな 言葉も
自分の奥の 魂 には 侵入出来ない

人は 宗教に走り

他人の言葉を鵜呑みにして

なんとか 悟りの世界に行こうと
するのだけど

まあ 行けない

その世界に行くには 言葉を 捨てなければ
ならないから

現代催眠の先生は
言葉が浮かんできても 良し
それを 深追いしても
しなくても良し

だけど 気付いたら また
言葉を流して

『私は 今 ここに存在する』

だけを 唱えてみましょう

と言い

その言葉だけを 灯のように灯して 頼りにしながら

『自分が いる 感覚』
だけを 感じる時間

を 二人で ぼんやり やっています

 

先生は 20歳から 欠かさず
毎日瞑想して 最近 悟りの感覚というのを
なんとなく 感じたみたいだけれども

悟るには

言葉では 絶対 辿り着けなくて

言葉 は指標にはなるけれど
それは 答えではなく

目指すところは

『目を覚ます』という ところらしい

面白そうだ
生きてる間に 感じてみたいなと
思いながら

『言葉で侵入されない場所に
安全に 守られている
その感覚
ってのが 在る』なんて

これは なんて 希望なんだ!と感激するのです

 

皆んなの 『光』も
言葉には 侵されてない場所にある

だから 私は
あまり 言葉というよりも

クライアント様の 私に対する感覚

私がクライアント様に対する感覚

重視しています

絶対 お互い わかってるよね!笑笑

なので
裸一貫 嘘はなし
誤魔化し無し

の カウンセリングで

その方の 直感なり 感覚を
取り戻すカウンセリングをしております