般若にならないように

般若(はんにゃ)ってご存知でしょうか

本来、「般若」(サンスクリット: प्रज्ञा, prajñā)は仏教用語で、その漢訳語「智慧」(日常用語の「知恵」とは意味が少し違う)の同義語である。しかし、語義と面の関係は薄い。
一説には、般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれている。あるいは、『源氏物語』の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。
能では、葵上や道成寺、黒塚などで般若の面が用いられる。
能面の世界では、鬼女への進化の途中で般若に成りきれていない顔つきの面を「生成」、般若が進化して蛇のような顔つきになった面を「真蛇」と称している。
仏教用語としての般若が一般的でなくなった現代日本では、「般若」を「般若の面」の意味で、さらには、「嫉妬や恨みのこもる女性」という意味で用いたり、転じて「般若の面のような憤怒の形相」という意味で用いることもある。

(wikiから抜粋)

 

ふむふむ
嫉妬をする表情というところでしょうか

 

クライアントさまたちの話にも よく出てきます

『母親が般若みたいな顔をしていた』
『父親が般若みたいな顔をしていた』
『祖母が・・』  『祖父が・・』  等々

何かに執着して鬼になってしまっているところを表すのですが

ちなみに角が生えているのが女性だそうです

私も 昔 般若のお面を最初に見たときに
『母親そっくり!!』と思ってことを覚えています

母の怒り狂い我を忘れる時の顔が
まさにこれでしたもの

 

クライアントさまたちの話を聞いていると

『誰々が般若に似ていた』
という感覚が出てくる時って

その般若さんが『嫉妬』していた時のことなんですよね

つまり 嫉妬って般若の表情になる

 

日本の古典芸能ってすごいなあと思うのは
そのあたりの心の機微と言いますか

心の揺れ具合を上手く『固定した表情』にのせて
お面に『感情』を表すのだが

仕草とか
身体の傾け方とかも含めて
『心の揺れ具合』を舞台で見せていく芸能ってのは
日本ぐらいなんじゃないかと思う

アフリカの戦いのお面とかは
『威圧を与えて』『勝利するため』とか
目的が決まっていますが

日本てのは 『心の揺れ具合』を観せていくことに特化した芸能が多いです

 

もともと
ものを持たない質素な暮らしを『美』とする傾向があり
だからこそ『刺激』を求めたのでしょう

『駆け引き』とか 『善と悪』とか
そのあたりの境界線が 特殊な国なんではと思うのです

 

話が逸れてしまいましたが
そんな日本という国で発展してきた『能』という芸能は
『般若』や『鬼』と言う『お面』を作り出してきました

心が闇になってしまう瞬間や
その闇に苦しむ様子
そして闇から立ち直る瞬間

心の中の 暗いところと明るいところを
ここまで繊細に大胆に表す表現

心のひだの動きを

なんでここまで一大芸能として発展させてきたか
発展してきたかと
不思議に思うのです

 

それは
誰にでもある
不安や 悲しみや 心細さや 苦しみや 喪失感や

そう言うものを
表現されていることを観ることにより
慰められると言う側面があったからかもしれません

 

『能面の世界では、鬼女への進化の途中で般若に成りきれていない顔つきの面を「生成」、般若が進化して蛇のような顔つきになった面を「真蛇」と称している』

wikiにはこう載っていましたが

嫉妬にもグレードがあると言うのは興味深い限りでありまして
心の芯まで嫉妬でやられてしまうと
『真蛇』と言うボスキャラ的なものに変化してしまうのですね・・

 

嫉妬は誰にでもあるものですが
せめて般若になりきれてないところで自分で気づきたいものです

どうやったら般若になりきらずに済むのか

実はある方法があるのです

それは『循環』を意識した生き方をすることです

長くなったので
これはまた近くブログに書きますが

クライアントさまたちはこれを実施しながら
少しずつ『自分の楽な感覚』を取り戻しつつあります

 

 

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