初めての感覚を

何故か
意識とは 無意識とは反対の意思を
持ちがちであるなと
見ていて思います

「私は嫌われている」
→ 周りに 貴方に嫌われたくない人がいる

「自分は嫉妬深い」
→周りに 貴方に嫉妬してほしい方がいる

「頭が悪いのか 仕事が覚えられない」
→要領が良すぎる貴方の足を引っ張って
貴方に見捨てられたくない方がいる

嗚呼 もう
不安は ほとんど他人からの
ものだと思っていいくらいなのです

幼少期に
養育者が 自らを信じられないが為に
子供を
「自分の思う通りに育てて
そばに置いておきたい」
という 育て方をすると

子供は ベースが
養育者の気持ちを満たすことが
目的になります

そして それを
大人になっても 引きずる

例えば

養育者が
子供を思い通りに育てたい場合は
「考える力」や「決断する力」を
奪い
反対に
「思いやりのある子に
(親が満足できるような思いやりね)」

「空気が読める子に
(私の機嫌を伺ってなさい)」
と いうような
育て方をします

これ、本当に多いケースで

治療を進め

いざ 自分の感覚で進む!
という段階になると
途端に不安になる方がいらっしゃいます

なんでかというと
ご自分の感覚で 物事を決めた経験が
無いからです

ここの部分は
カウンセラーとしては
信じて待つしかない

その方の無意識が
自分の人生は自分のものだ
という感覚を持ちたいとなれば

どこかで 必ず 立つのではないかと
信じて いつも治療をしております

乙原