恥をかかえる負担

アルコール依存の人が居るという事は
一体 どういうことなのか

アルコール依存に関わらず
依存や中毒の真っ最中の方と
生活をともにしなければならない状態ってのは

『家に猛獣がいる状態だよ』

と 精神科医の先生は言う

私も そうだよなぁ と思う

アルコール依存症の人は
二面性を 家族に見せつけてくるわけです

酔った状態の自分と
シラフの状態の自分 

その片面の寄った状態の自分は もはや
会話できる状態じゃないよね…という状態なので

家族内は こんがらがってくるわけです

一定していないから。

どっちが本当の 素の状態なんだかわからなくなってくる 

そんな不安定な状態の方を、親にもった子供達ってのは
不安定な土台のうえにいるわけです

だから
シラフに戻った状態を見ると
余計に その酒乱の状態との 『差』で
混乱してくるのです

どちらの状態が 本当の親なのか…

AC(アダルトチャイルド)は 
大人びた子供とか 
大人の中に子供がいるというより

『無理して大人として立ち回らなくてはいけなかった子供』の部分が
いまだ癒えていない状態

としてみています

これは『子供としての体験が抜け落ちている状態』です

子供の体験とは『愛着の形成』をされる時期に
適切に、その愛着の体験をする
ということなのですが

もちろんアルコール依存の人が家庭にいると
家庭は大きな猛獣を買っているような状態ですし

また 家族にそのような人がいるということは『家族の大きな秘密』なので
秘密を抱えるという『行為』は 子供には大いに負担になります

『この『秘密』が秘密である』と認識するというには
高度に周りを観察できるくらいの知恵や観察眼が必要となります

親が何故『これを秘密』とするのかという『慮る技術』がまずは必要となりますし

またそれは親の『恥』を理解しないとなりません

もちろん
これは他の家庭には あまり見かけないものなんだとも理解し始めます

そうして子供は
自分の周りの世界が
『他者の恥』として認識されるにつれ
どんどん『不確かで危ういものが自分達を支えるもととなっている』という理解をしてしまいます

愛着とは『揺るぎない精神の土台』でありますので
もちろん不安定な家族のバランスでは築くのが困難になってきてしまいます

最近では 
アルコール依存は一人では立ち向かうのが困難な依存症として認識されていますが

そもそもアルコール依存の方の思考は
ご本人もよく分からないくらいの強い衝動性の欲求により
『理性』などが
いざその場で『発動する』ことはなかなか難しいのです

しかし ご本人は
『理性はいざとなれば発動する』という自分(人間)への思い込みがあり

また裏には
『理性が発動しない人間は恥ずかしい』という
そもそもの差別感情も相まっているとともに
そこがあやふやになってしまう自分への強い憤りもあるので

周りに助けを求めることすら『恥』となってしまいます

アルコール依存の方は
自発的に『治りたい』『普通のコミュニケーションをとりたいという欲求』が
『お酒を飲む欲求』より高くなることが望ましいです

自助グループなどで
コミュニケーションが取れるにつれ
普通のコミュニケーションに憧れを抱くようになってきたらば
もう一息であります