性的な目線のよもやま話

うちにカウンセリングには 色々な方がいらっしゃるので
悩みも様々だし 変化もする

その中で うっすらと殆どの女性陣が抱いている『怒り』というのを
感じるときがあります

それは『男性からの目線』に対しての『怒り』に近いものでもあります

産まれて最初にその『目線』を向けてくる人は
おそらく父親なのではと思うのですが
これが実は『刷り込み』となっている場合が殆どです

父親が自分に向けていた目線の『意味』を知るとき 
娘は初めて『男性に怒る』ということができるようになります

『性的虐待』というものを
カウンセリングの看板の一つに持っている身としまして

果たしてどこからが『性的虐待』なのか
・・という線引きはとても難しいものです

例えば『女は愛嬌』とか言われた時代もありましたが
今もそれは地下で脈々流れている価値観の一つで
『笑っている女性』はそれだけで『魅力』を評価されやすいものです

けど、けどなあ・・とも思うのです

先日 私
イラッとすることを言われた時に
『ごめん ごめん 怒らないで』とお願いされました

うーん と思いました

イラッとすることを言われて
胸のあたりから滲み出てくる悲しみとか やるせなさとかの感情は
『怒ることで表現したいのに』と
私は思いました

この感情は 相手には面倒くさくても
『怒っているよ』という私がいると知らしめたかった

結果 10分くらい充分にプンスカして
『怒るという感情が出てくる理由』を怒って伝えたら
なんだかとても落ち着きました

感情は
相手にも 自分にも『止める』ことはしないほうがいいよなあ・・と
改めて思った次第なのです

相手が『何を感じるか』は
どうやっても強制できないことです

いわばノーコントロール

自分が何を感じるかも強制できないし 操作もできないです

けど
実際に人間は『洗脳』や『催眠』で
相手の思考を『教育』したり『操作』したりができるのも事実なのです

だから人気No.1の職業は『教祖』なのかもしれませんね

今や誰もが
『自分に対する評価をコントロールしたい』と躍起になる時代です

それの根源を辿っていくと
必ず『親』の評価と皆様ずっと戦っているのです

それが『性的虐待の傷』を癒す方法だと思いがちなのですが

それは却って
傷口を深くエグリ続ける行為なのです

唯一の方法は『親もただの獣だったんだな』という
『親の偶像』の喪失感をきちんと味わうことが大事になります

ちなみに 私の父親って
もうどうしてこんなに・・・というくらい 
『自分に酔っている』人だったんです

いまだに思い出しても
見ていられないようなところがある『弱い』父親でもありました

その父は
『理想の女性像』を娘に語る人でもありました

無意識でも私は
父親の理想には絶対になりたくなかったので
どうしても自立する必要がありました

父の理想になることは 吐き気がするくらい嫌でありました

父親に愛され続ける女性になること
・・それは
私が『儚げで か弱くて守られるような女性になること』でした

やってられん

と ある年齢になって
ふと私は思うようになりました

守ってもらうだけで生きるって つまらん

と思うようになりました

性的虐待の治療を受けて
私は『父から女性として愛されること』の気持ち悪さがやっと理解できました

それは『自立』の方向に導いてくれる原動力になったので
結果オーライでしたが
現代の世の中的には
あまり歓迎されない女性になってしまいました

そしてもう一つ 不思議に

男性の顔が どれも同じに見えるようになったのも不思議な現象でした

顔の作りとか
器量の良し悪しとかより

ひたむきさとか
誠実さが
見えるようになったのもあります

性的虐待が治癒してくると
それまでの『戦ってなんぼ!な価値観』がなくなってしまうので
途方にくれる方なんかもいらっしゃるのは事実でして

『生きるのは楽だけどスリルがない』とかも言われたりします

加減が難しいところなのです

ちなみに
戦ってナンボ!の状態より
性的な戦線離脱してリタイアした方のほうが
人気が出てきちゃう ってのも
不思議な現象であります