
臨床を続けていると
ときどき「この人は本当に何も感じていないのではないか」
と思ってしまうクライエントに出会うことがあります
人の真似はできる
受け答えも成立する
人当たりはよく
学校教育での知能には問題はないどころか高い水準を保持している
しかしその内側には『何かをしたい』という欲望が見当たらない
話す内容は、どこかで聞いたような話をする
感情を尋ねても『特にない』と自分でそこを探れない様子があり
身体の感覚を辿ろうとしても定位できない
そしてこちらが問いを重ねれば重ねるほど
むしろ動けなくなっていく
その場には妙な空気が漂い
空虚感を伴った会話になりがちで
セラピスト自身も「この関係は成立しているのだろうか」と揺らぎ始める
しかしこの状態は
本当に「何もない」わけではありません
むしろ逆で
そこにはまだ言葉も位置も持たない何かが確かに存在しています
そしてここに一つ重要な視点があります
それは
このタイプのクライエントは主体がないのではなく
『主体が外部にしか立たない』
という構造を持っているということです
(これは個人の能力や努力の問題ではなく
どのような環境の中で主体が形成されてきたかという構造の問題です)
通常、人は
自分の内側に「こう感じている自分」や「こうしたい自分」を持っています
しかしこのタイプの方は
その位置を自分の内側に作ることができません
その代わりに何が起きるかというと
他者の中に自分の位置を作る ということで生き延びてきた方々です
セラピストの表情
声のトーン
反応のわずかな揺れ
そういったものを頼りにして
『自分は今どういう存在としてここにいるのか』
を外側から組み立てようとする
(以前ブログで書いたヒステリーの構造も併せ持ちます)
だから臨床では
誰かの真似をする
正解を探し続ける
どう思われているかを強く気にする
自分の感じていることよりも相手の反応を優先する
といった動きが現れます
これは依存というよりも
より基礎的な問題です
主体そのものが外部に仮置きされている状態
いわば
『主体の代替物を外から借りている状態』
です
この構造を前提にすると
なぜ通常のカウンセリングが機能しないのかが見えてきます
例えば
「何か気づいたことはありますか」
「どう感じましたか」
といった問いは
すべて
『すでに主体が存在していること』を前提にしています
しかしこのタイプのクライエントにとっては
そもそも
『自分が感じている』という位置が成立していないのです
そのため
問いを投げかけられると
わからない
空白になる
思考が停止する
あるいは
セラピストの反応を探しに行く
つまり
問いそのものが
主体の不在を露呈させてしまう
のです
ではこのような場合に何をするのか
結論は非常にシンプルです
カウンセラーが『主体を作ろうとしない』
そして
主体が立ち上がる前の仕事をする
それは
感情を深めることでも
意味を見つけることでもありません
『ここにいるという状態を壊さないこと』
です
具体的には
「今ここにいる感じはありますか」
「少し離れている感じもありますか」
「そのままでいられそうですか」
といった
極めて負荷の低い問いを用いながら
『ここにいる感じ』と『どこかに行ってしまう感じ』
この両方が同時に存在してもよい
という状態を繰り返し体験していく
このとき重要なのは
分裂や揺れを統一しようとしないことです
多くの場合セラピストは
ちゃんと戻さなければ
一つにまとめなければ
と感じてしまいます
しかしこの段階ではむしろ
『いる感じといない感じが両方ある』
という状態が保たれること自体が重要です
主体は安定した一点として突然現れるものではなく
このような不安定な二重性の中で
徐々に位置を獲得していくものだからです
またこの臨床では
セラピスト側の体験が重要な手がかりになります
空虚な感じ
ぼんやりした感じ
関係が成立していないような違和感
これらは失敗のサインではなく
クライエントの状態を身体レベルで受け取っているサインであることが多いのです
重要なのは
それを解釈することでも
クライエントに返すことでもなく
『今こういう感じがある』
とセラピストが内側で保持し続けることです
逆転移を使うのではなく
持つ
この領域ではそれが求められます
さらに大切なのは深く入りすぎないことです
このタイプのクライエントは
深い層に触れること自体はできますが
それを保持する力が弱いため
深さだけを追求すると
すぐに不安定化します
したがってセッションは
『触れる → 戻る』
というリズムで構成される必要があります
触れたあとには必ず
「ここにいる感じはありますか」
「そのままで大丈夫です」
といった言葉で現実の足場に戻す
これが崩壊を防ぐための基本的な枠組みになります
またこのタイプの臨床では
『主体のようなもの』を他者から取り込もうとする動きが頻繁に現れます
例えば
『自分はあなたに、今どう見えていますか』
『私のことをどう思われていますか』
といった問いです
しかしここでそれを与えてしまうと
主体はますます外部に固定され
内側には立ち上がってきません
したがって
それを満たすことではなく
満たされないままここにいられること
これを支える必要があります
そして最後に非常に重要な点として
このタイプのクライエントに対して
「助けよう」とするほど関係は崩れやすい
という特徴があります
この背景には
過保護的な養育環境があります
多くの場合
困る前に手が差し伸べられ
自分で動く必要がなかった
結果として
自分の手をどう使えばよいのかがわからないまま
ここまで来ている
そのため
助けるという行為は
主体を外部に預ける構造をさらに強化してしまいます
ここで必要なのは
助けないことではなく
『奪わないこと』です
その人が自分の位置を持つ可能性を
外側から奪わないこと
これが関係を維持するための重要な視点になります
この臨床における成功の指標は
洞察でも感情の深まりでもありません
『少しでもここにいられたか』
ただそれだけです
わずかな接地感
わずかな「いる感じ」
それが繰り返される中で
主体ははじめてゆっくりと立ち上がってくるのです
主体が立ち上がらない状態のカウンセリングは
一見すると何も進んでいないように見えるかもしれません
しかし実際には
そこでは最も基礎的で
最も重要な作業が行われています
生きる上での基盤を作っている状態です
それは
感じることでも
理解することでもなく
存在することそのものを成立させる作業です
そしてこの繊細な領域では
進める力よりも止める力
変える力よりも保つ力
それがセラピストに求められているのだと思います
さて私はこのブログを出すことを少し迷っていました
非難されるのではないか
攻撃されるのではないか
そう感じたからです
しかし臨床の現場に身を置き
精神科や心療内科の先生方の話を聞く中で
これは現代において
まだ十分に言葉にされていない領域だと感じました
支援の現場では
このタイプのクライエントはしばしば扱いにくい存在とされ
結果として
薬物療法のみで関わりが終わってしまうことも少なくありません
しかし薬によって
『自分はこうしたい』という主体が立ち上がるわけではない
ではどうするのか
そこに対して
臨床の中で試行錯誤してきたことを
今回はあえて言葉にしました
この『待つ』という時間を経験したクライエントの方々は
時間はかかりますが
『自分の中に感じる部分があったことに気づいた』
と語るようになります
そして少しずつ
人と関わり
生活し
仕事を始める
そういった変化も実際に起きていきます
ただし
とにかく時間がかかる
そこがこの臨床の難しさでもあります
カウンセリングは週に一度
限られた時間の中での関わりですが
クライエントの時間は
その外側でも続いています
その時間の中で
何かがゆっくりと立ち上がってくることを
願いながら関わっています







