境界線というものを
聞いたことがある方は多いと思います
境界線とは、その名の通り境目を表す線であります
よく家🏠と家🏘️の間の境界線だとかありますが
これも、揉め事になるとよく聞きます
境界線を、植木が飛び越えてきている・・とか、なんとか。
人間も動物も
「縄張り」というものをすごく重要視しますが
縄張りとは一体何なのかというと
『自分が安心できるスペース』だと思われます
人は必ず『安心できる場所』というものがあり
『自分を守ることができる場所』が必要だとカウンセリングをしていると
痛いほどその大事さを感じます
トラウマを背負ってしまった人というのは
どの方も『自分』というものを外側から侵食、もしくは食い破られてしまった方々だと
感じています
予期せぬ侵害行為や
悪意ある貶める言葉などは
本当にその人の心をえぐるものです
加害をする人が、1人1人自覚を持って生活をしていってくれればいいのですが
加害をする人の中には
『人のことを侵害することが何よりの快感』という人もいますから
ではどうやって自分のことを守ればいいのだろうと
途方に暮れてしまう方も少なくないように思えます
しかし
そんな生粋のモンスターのようなような人はごく少数なのです
実は
この侵害行為は
『やむを得ずしてしまう』という方の、本当に多いことよ
それも
『自分の心を守るためには、人のことを侵害しないと生きていけない』
という
切実な困り事が隠されている場合が多いものですから
一概に、侵害行為を弾劾するだけでは
なんの解決にもならないなあ・・と思うのです
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人と、人との間に境界線というものは何本あると思いますか?
大抵の人はおそらく『1本』だとお答えになると思います
でも実はそれは違うのです
答えは2本あります
例えば、私と相手の間を考えていただきたいのですが
私の前に、私の境界線が1本あります
・・・この境界線は私のことを守るための線
そして、相手の前にも1本の線があります
・・・それは相手の方が持っている、その人を守る1本です
そしてその私の境界線と、相手の境界線の間の空間がありますよね
それが『意見と思想が交わされる場』です
そこではどんな意見も、思想も交わされてもいいですが
でも、それはお互いの境界線を超えてはこれません
境界線を超えて、自分の手元に来るのは
『自分がOKした意見と思想』だけです
もちろん、自分の意見も
相手が、『境界線を外して、取り入れよう』と思ったら
その人に受け入れられることになります
これが、健全な境界線が成り立っているということなのですが
この概念が、もっと多く広がればいいなあと私は思っています
私の意見は〇〇なんだ
でも、これを受け入れるかは、あなたが、あなた自身で決めていいんだよ
あなたの意見は△△△なんですね
でも、その考えは受け入れられないから
私の境界線は越えさせません
みたいなものがあれば
それこそ『真に受けてしまった・・・!』なんてことも少なくなるだろうし
人間関係を操作する、操作されるなんてことも
少なくなるのではないかなあと思うのです
昨今の人間関係というのは
なんだか非常に『密すぎる』ような気がします
いつも気の合う、裏切らない人を求め続けて
でも
相手が、自分の考えと少しでも違うとすぐに嫌気がさしてしまう
自分の弱いところを見せると
すごくく心許ない感覚になってしまい
だから対人関係で、相手に見せるのはいつも『完璧な自分』だけ
どの考えが正しいのか分からなくて
いつも誰かの考えを取り込もうとしたり
自分が失敗しないように導いてくれる相手を探し続けてしまう
・・・・この、導いて欲しいという感覚は
カウンセリングでもかなり時間がかかる部分であります
失敗をしたくないから
でも賞賛はしてほしい、求めて欲しい、仲間に入れて欲しい
だから
『誰かを崇拝して生きてしまう』という感覚は
搾取されやすかったり
反対に傲慢になってしまったりして
自分でもバランスがとりにくくなってしまいがちです
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健全な人間関係が、どこにあるのか・・
どうやったらそれがわかるのかと
私自身も自分のことを振りかえって思うことはありますが
一つだけ、体得したものがあります
それはやはり『境界線が、私とあなたの前に、それぞれ1本ずつある』
という考えを学んでから
あまり心が動かされなくなりました
感情移入しすぎることもなくなり
ハラハラすることもなくなり
相手にどう思われても気にもせず、苦にもせず
『それはあなたの意見と感覚』
と、分けて考えたりするということができるようになりました
かと言って
それが断絶するためのテクニックだとか
ひとの影響を受けないようにするだとかが目的ではないのです
むしろ、相手と自分の間に『空間』が見えるようになったお陰で
相手の世界観が、前よりももっとよく見えるようになり
カウンセリングの眼力も上がったという副産物もつきました
昔は、もう色々な人が
私の内部を突き破って、食い散らかされていったような世界観の中で
私も生きていました
あの頃は、どうやれば自分を守ることができるのかとも模索していて
心に、ものすごく堅く強い鎧を創ることが
唯一の道なのかと思っていましたが
それは、本当に苦しい日々でした
今は、薄膜というか
シャボン玉のようなものの中で、私は生きていて
誰かの乗ったシャボン玉とぶつかることはあっても
ぽよん
と
軽く触れて、すぐお互いが離れて
またポヤポヤ浮いている・・みたいな世界観に変化してきました
シャボン玉同士(ぽよん)と接着しても
適度な柔らかさと、しなやかさがあれば
お互いを傷つけずに、
シャボン玉も割れずにいれる
そんな世界観に移行してきたらば
かつての人たちからは
こちらのことが見えなくなってしまったようで
あまり目をつけられなくなりました
そう言えば、先生たちも
本当に上手く自分の存在をふわりとさせてしまいます
スーパーバイザーは、『隠遁の術』というのを教えてくれましたが
それは先に鎧を捨てて
丸腰となり・・と 続きます
空気感としての
『あなたを尊重します そして自分も尊重します』の体勢を
体得することなのですが
それは、『柔らかな境界線』を『お互いのために持つ』ということなのです
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