『親の葬式に、でるか でないか』
という問題は
毒親育ちの方々とのカウンセリングでも良く話題に上るところであります
私は、スーパーバイザーから
「死ぬ三日前くらいに会いにいって耳元で恨み辛みを言ってやんなさい」
と言われて
腰が抜けるほど
その時は驚いたのを覚えている
(普通は会いに行けとか、親を許せとか言われるものなんじゃない・・?)
と思っていたから
心の専門家である医師から
そのように言われて混乱をしたのです
まず、それを言われて
口を突いて出た質問は
『そんなことして恨まれませんか?』だった
けど先生はゆっくり首を振りながら
『いいえ そんなことはありません
この間も他の患者さんが親の死に目に会いに行き
耳元で言ったらしいけど、親からは恨まれてませんでした』
そしてニヤリと笑いながら 付け加える
『むしろ、恨み辛みを言われた方が
何くそ〜〜💢となって 四十九日をクリアできるかもしれないしね』
と言った
聞き逃さない私
『え?クリアってどういうことですか』と尋ねると
先生は
『死んだら四十九日でクリアしなければならない迷路みたいなところがあるんだ
その途中に、光に照らされるんだけど
照らされて、(きゃ 恥ずかしい!!)ってなったら
またスタート地点に戻ってしまっている
そんなこんなをしながら
その迷路を四十九日の間にクリアしないとならないんだよ』
死んだら
その人が現世で生きてきた『世界観』がそのままリアルに
あの世で広がるわけで
例えば、今の生き方が
ものすごく飢餓感が強く生きていたらば
死んだ後も その世界観が長く続く可能性は高い
しかしでも、何故
自分がその『飢餓感』の世界にいるのか・・・
ということを
『光』が自分の心の深部まででらしてしまうものだから
そりゃあ(きゃ 恥ずかしい)ともなるかもしれん
と いうわけで
カウンセリングでやってるような
要は『自分の心の奥底を見る』ようなことを
多分、死後にされるわけなのだろうと思うのだけれども
『光』は容赦ないですから
それはそれは恥ずかしいところも明るみに出るでしょうと
それを自覚して次に進むか、否かは
本人次第だということなのですが
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そんな中でも『親の葬儀』というのは大変なことでありまして
で 悩まれている方々が
皆様おっしゃられるのは
『育ててもらった恩があるから・・』というものでした
そもそも!と思う
育ててもらったことは『恩』なのかーーーーーーー?
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日本人の『集団催眠』の特徴としまして
日本が存続する理由として有名なのは
『日本は(恩)というものによって支配されているからだ』ということ
日本において『恩』というものは『負債』のような働きをします
よく『鶴の恩返し』など
何か自分にとって有益なことを施してもらった場合
それは『恩』という形をとり
いつかはその『恩』を返さなければならない
この場合の鶴が貰った『恩』とは
命を助けてもらった恩で
その恩には、自分の命をかけて全力で『返さないとならない』
海外を見てみると
『恩』というものは存在しても
それに囚われている国は珍しいのだけれども
日本は特にこの『恩』というものに
なんらかの形で報いなかればならないという『脅迫』が背後でなされております
でもなあ・・と
見ていて思うのだけれども
この『恩』という事象を
『支配のツール』として使う人が非常におおい気がします
『相手に対して何か良いことをして
ありがたがられたら
その時点で 主従関係 に近いパワーバランスができあがる』
気がしてならないのです
人からの恩義に対して
ただ単に『サンキュー』と言って立ち去れないお国柄が、我が日本
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で
冒頭の話に戻りますが
『育ててやった恩』というのが存在するのが
我らの国と特徴でもあるのです
おいおい🙄と少し疑問を呈するのだけれども
そもそも子を成そう!となったのは親の意思である
親が意思を持ってなしたことを
『ありがたがれ』『恩に感じろ』という強制は
いささか精神に苦痛をもたらす
『育てられた自分』に対して
非常に、自分を迷惑な存在なんだと自己認識し始めてしまう
それには是非待ったをかけたい
子供と親・・という関係だから
事が難しく感じられるかもしれないので
極論かもしれないけれども
人間とアンドロイド で考えてみたい
アンドロイドは
人間の『夢』でもあり だからこそ進歩してどこの国でも研究されてきた
・・手がかかっている
そのアンドロイドが
夢でもあった『意思』を持ち始めて
自分で色々判断したりしながら社会に進出していった時に
人間の思惑とは違う意思を持ち始めたとしよう
その時
人間はどう振る舞うのか
多分、この時の『勝手な感覚』は『恩』と非常に近しいところを
刺激しているような気がするのだ
人間はおそらく
『アンドロイドは自分が造り出したのだから操作して当たり前だ』
となるのだと思う
けども、もう意思を持ち始めた存在というのは
それだけで充分な『一つの個体』として機能しているのだけれども
その相手の意思などは、度外視して
人間は『自分の思惑』通りにしようとするのだと思う
この時の『思惑通り』のツールとして『恩』という抗いがたいものは
使われる
相手の『罪悪感』を刺激して
申し訳なさを感じさせて逆らえないようにしていく
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『恩着せがましい』という言葉があるが
この恩着せがましさというのは
非常に注意したい振る舞いでもあります
『自分がやってやったんだ』という不遜な感覚は
相手との関係を『主従関係』に持ち込むものであります
この『恩着せがましさ』を土台にして出来上がったのが今の家父長制度です
長くなったのでまた後日
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