風の音は聴けるのか 

子どもの頃から不思議に思っていたことがあります

風って、音がするのだろうか 

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今日は風の音がするね

風がうるさいね

風が鳴っているね

・・・・・など、私たちは当たり前のようにそう言います

私もその言葉を繰り返し使ってもいました 

でも
疑問はずっとありました 

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風って本当に音を出しているのだろうか

やっと長年のこの疑問を調べてみると
答えは意外なものでした

実は
風そのものはほとんど音を出していないのです

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風とは空気の移動です

何もない空間を
空気が静かに流れているだけなら

音はしないのです 

では
私たちが聞いている『ゴォォォ』という音は何なのでしょう

木々が揺れる音
草が擦れる音

建物の隙間を通る音

電線が震える音
耳の周囲で空気が乱れる音

つまり

私たちが風の音だと思っていたものは

風そのものの音ではなく
風が『何か』に触れた音だったのです

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私はこの話を知った時

少し驚きました
そして妙に心に残り、考え込みました 

まるで

人の心と、同じではないか と思ったからです

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近年
脳科学は目覚ましい発展を続けています

恐怖に関係する脳の部位
記憶に関係する部位

感情に関係する部位
言語に関係する部位

少しずつ解明されてきました

それは本当に素晴らしいことです

しかし
そこで一つの疑問が残っているのです 

では
心はどこにあるのか という問題です 

恐怖を感じる場所は見つかる
記憶に関わる場所も見つかる

悲しみに関係する場所も見つかる

でも

心そのものはどこにあるのでしょうか 

実はこの問いは
現在も
脳科学・哲学・精神分析が何十年も、あるいは何百年も格闘している問いです

そして面白いことに

脳の中で「心を感じる場所」は見つかってきているのに

『心そのものの場所』は見つかっていないのです

例えばピアノがあります

弦がある

ハンマーがある

響板があり

そして、すべてを調べることができます

では
音楽はどこにあるのでしょう?

弦でしょうか
ハンマーでしょうか

木材でしょうか

どれでもありません

しかし
どれか一つ欠けても音楽は生まれません

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心も少し似ている気がするのです

私たちは心を探しています

でも見つかるのは

いつも心そのものではなく心が触れた痕跡ばかりです


怒り


記憶

身体の緊張


言葉

それらを通して
私たちは心がいることを知る

自分に心があることを感じる 

でも心そのものを見た人はいません

私はカウンセリングをしていても同じことを感じます

人はよく
自分の心がわからない
と言います

本当は何が悲しいのかわからない

何に怒っているのかわからない

何を望んでいるのかわからない

しかし話しているうちに
何かが揺れ始めます

ある人は
湖の話をしました

一緒に暮らしたい木の話をしました

ある人は
夢の話を思い出して話し出します 

ある人は
突然涙が出て止まらなくなりました 

ある人は
忘れていた風景を思い出したと静かに語り始めます 

その時
私はその人の心を見ているわけではありません

ただ

葉が揺れるのを見るように

何かが動いたことを感じているだけです

そしてその揺れを見ながら

ああ
ここにこの人がいる

と思うのです

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精神分析家のラカンは
『主体』というものを『物』のようには考えませんでした

ラカンは極端です

ラカンなら、

『心の場所を探す』
という発想自体を疑うと思います

なぜなら主体は『物体』ではないからです。

主体は

『言葉と欲望と他者との関係の中に現れては消える』
というものです 

決して固定されているものではない 

だから
脳を全部開いても
主体は見つからない

それは風を捕まえようとしているようなものです

心も主体は
どこかに収納されているものではなく

言葉の中に現れ

沈黙の中に消え

欲望の中に現れ

夢の中に姿を見せる

ーーーーーーそういうものです 

だから脳を全部開いても
心も主体も見つからないかもしれません

それは
風を捕まえようとするようなものなのかもなあと感じるのです 

風は存在します

確かにいる

でも

木がなければ 
その存在に気づけない

心もある 

確かにいる

でも
涙や言葉や夢や絵がなければその存在に気づけない

私は最近
もしかすると人間は

本体よりも『痕跡』を通して世界を知っているのではないか

と思うことがあります

風そのものは聞こえない

聞こえるのは

風が世界に触れた音

私たちは葉の揺れを通してしか
その存在を感じることができない

なのでカウンセリングは
まるで遺跡を、探しているような感じになることもあります

でも面白いのは
そこに、確かに生きた痕跡が見えることがあるから
私は、この仕事をしてしまうのかもしれません 

余談ですが、私の小さい頃のもう一つの夢は
考古学者だったから。

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心の場所を探す科学はこれからも進歩していくでしょう

恐怖を感じる場所
記憶を作る場所

共感に関わる場所

たくさん見つかると思います

でも私は少しだけ思うのです

心そのものは
最後まで見つからないのではないかと

風が最後まで姿を見せないように

心もまた

葉を揺らし

水面に波紋を作り

夢を見せ

涙を流しながら

その存在だけを静かに知らせ続けるのかもしれません

私たちが聞いているのは風ではない

風の通った跡なのです

そして私たちが見ているのも

心そのものではなく、

心が生きた跡なのかもしれないなあ と

空(くう)を見上げて思うのです