脳の解剖 

人は、頭の中で何を使って考えているのだろう
――心的表象の違いと、体験の捉え方について

カウンセリングをしていると、
人によって、物事を理解する方法がずいぶん違うのだなあと感じることがあります。

同じような出来事を経験していても、
その出来事をどのように捉え
どのように理解し
そして自分の中で処理していくのか。

そこには、思っていた以上に大きな個人差があるようです。

例えば、ある人は言葉で考えます。

出来事を文章にしながら、何が起きたのかを理解していく。

別の人は、頭の中にイメージが浮かびます。

その場の風景や、相手の表情などが、一枚の絵のように現れる。

また別の人は、出来事を映像として捉えています。

場面が動き、時間が流れ、まるで映画を見ているように体験を思い出す。

そして、最近とても興味深かったのは、
出来事を数値や関係性に置き換え、グラフのようにして捉える方のお話でした。

その方は、出来事から得られた情報をグラフに置き換え、
その変化を見ながら未来を予測し、物事を処理していくのだそうです。

なるほど、そういう考え方もあるのか……。

私は改めて人間の心の働きの多様さを感じました。

こうした違いは認知心理学でいう「心的表象」という概念から考えることができます。

心的表象とは何か

心的表象とは、簡単に言えば、外の世界や自分自身の経験を、
心の中で何らかの形にして表してそれを認識することです。

いわゆる意識へのぼる前段階としての
処理を、どの工程(画像なのか、文字なのか等々)
を使っているのかということが
関係してきます。

私たちは、目の前で起きていることを、
そのまま心の中に保存しているわけではありません。

言葉にしたり、映像にしたり、
関係性として理解したり、
身体の感覚として経験したりしながら、情報を扱っています。

例えば、昨日食べた夕食を思い出してみてください。

料理の見た目が浮かぶ人もいるでしょう。

『カレー』という文章のようなものが浮かぶ人もいるでしょう。

食べたときの味や匂いがよみがえる人もいるかもしれません。

また、何を食べたのかはわかるけれど、
特に映像も言葉も浮かばないという人もいるでしょう。

このように、同じ経験でも、
それが意識の中に現れる形式は一つではありません。

そして、ここが重要なのですが、
人は必ずしも、自分と他人が違う形式で考えていることに気づいていません。

自分にとって当たり前の思考の仕方が、
他の人にとっても当たり前だと思っていることがあります。

しかし、実際にはそうとは限らないのです。

心的表象には、どのような形式があるのか

心的表象には、さまざまな形式があります。

ここでは、カウンセリングの中で観察される体験の現れ方も含めて、
いくつかに整理してみたいと思います。

ただし、以下は人間を分類するための固定的な性格タイプではありません。

認知心理学で研究されている表象の違いと、
実際に体験を語るときの形式を、理解しやすいように整理したものです。

1.言語的表象――言葉や文章で考える

出来事を、言葉や文章として捉える形式です。
例えば、誰かに叱られたとき、
「私はあのとき、こういうことを言った」
「相手はそれを誤解したのだと思う」
「次は、こう説明した方がよいだろう」
というように、言葉を使いながら出来事を整理します。

頭の中で自分に話しかけるように考える人もいれば、
文章を書くことで初めて考えがまとまる人もいます。

ただし、言語的に思考することと、
常に頭の中で声が聞こえることは同じではありません。

言葉の意味を理解していても、明確な内的独白を伴わない場合もあります。

2.視覚的表象――一枚のイメージとして捉える

出来事を、静止した画像のように思い浮かべる形式です。
例えば、誰かに叱られた場面を思い出すとき、

相手の怒った顔。
部屋の明るさ。
座っていた椅子。
窓の位置。
そうしたものが、一枚の写真のように浮かぶことがあります。

また、実際には見たことのないものを、
頭の中で組み合わせて新しいイメージを作ることもできます。

絵を描いたり、空間を想像したりする際にも、
こうした働きが関わることがあります。

ただし、視覚的なイメージの鮮明さには大きな個人差があります。

鮮明な映像を思い浮かべられる人もいれば、
ほとんど思い浮かべられない人もいます。

3.動的・映像的表象――時間の流れとともに捉える
こちらは、一枚の画像というよりも、
場面が動いているように体験される形式です。

動画が再生されるという感覚でしょうか。

例えば、叱られた出来事を思い出すとき、
相手が部屋に入ってくる。
こちらに近づいてくる。
何かを言う。
自分が振り向く。
そうした一連の場面が、動画のように浮かぶことがあります。

また、過去の出来事だけでなく、
これから起こることを映像的に想像する人もいます。

例えば、明日の会議について考えるとき、
会議室に入るところから、席に座り、発言するところまでを、
頭の中で再生するように予測する。

このような形式では、出来事の時間的な展開が重要になります。

なお、映像として思い出せるからといって、
記憶が必ずしも正確であるとは限りません。

記憶は、思い出すたびに再構成されることがあります。

4.空間的・図式的表象――位置や関係性で捉える

出来事を、位置関係や構造として捉える形式です。

例えば、人間関係について考えるとき、
誰と誰が近いのか。
誰が中心にいるのか。
どこに対立があるのか。
何が何に影響しているのか。
そうした関係性を、図のように理解する人がいます。

また、物事を階層や枝分かれした構造として捉える人もいるでしょう。

これは、必ずしも頭の中に鮮明な図が見えているという意味ではありません。

具体的な画像を伴わずに、
空間的な関係や構造を理解している場合もあります。

視覚的なイメージと空間的な理解は、
重なる部分がありながらも、区別して考えることができます。

5.数量的・関係モデルによる表象――数値やグラフの動きから予測する

これは、今回、私が特に興味を持った形式です。

出来事を、数値や変数、関係性に置き換えて理解する方法です。

例えば、誰かとの関係について考えるとき、
相手の反応が以前と比べてどう変化したか。

自分の行動によって何が変わったか。

ある出来事が起きる可能性はどのくらいあるか。

そうした情報を、数値や関係性として捉える。

そして、それをグラフのような形にして、
今後どのように変化していくかを予測する。

つまり、その人にとってグラフは、
単に情報を整理するためのものではなく、
未来を考えるための道具にもなっているのです。

認知科学では、過去の経験や現在の情報から、
出来事の関係性をモデル化し、将来の結果を予測する働きが研究されています。

ただし、ここでいう「グラフで考える」という体験が、
すべての人に共通する一つの認知機構として確立されているわけではありません。

また、実際にグラフが頭の中に見える場合と、
数値的・抽象的な関係を理解している場合とでは、
異なる処理が関わっている可能性があります。

それでも、出来事をそのまま感情や映像として扱うのではなく、
関係性の変化として捉えるという方法は、とても興味深いものだと思います。

6.聴覚的表象――音や声として捉える

出来事を、音や声として思い出したり、想像したりする形式です。

例えば、誰かに叱られた場面を思い出すとき、
相手の表情よりも、声の調子や言葉の響きが強く残っていることがあります。

また、音楽を頭の中で再生したり、
まだ存在しない旋律を思い浮かべたりすることもあります。

聴覚的なイメージも、心的表象の一つです。

ただし、頭の中で音を思い浮かべることと、
実際に外から音が聞こえるように体験することは、区別する必要があります。

7.身体感覚的表象――身体の感覚として捉える

出来事が、身体の感覚として現れることもあります。

例えば、誰かに叱られた場面を思い出すと、
胸が苦しくなる。
喉が詰まる。
お腹が縮む。
背中が固くなる。

そのような反応が生じる場合があります。

身体の位置や動きを心の中で思い描くこと、
触覚や痛みなどを想像することも、広い意味で感覚的な表象に含まれます。

一方、過去の出来事を思い出した際に実際の身体反応が起きることは、
心的表象そのものとは区別して考える必要があります。

しかし、カウンセリングでは、
言葉や映像よりも先に身体の反応が現れる方もいらっしゃいます。

そのため、身体感覚は、その人が体験をどのように保持し、
現在どのように経験しているかを理解するための、大切な手がかりになることがあります。

8.抽象的・概念的表象――映像や言葉を伴わずに構造で理解する

最後に、少し説明が難しい形式があります。
何かを理解しているのに、
明確な言葉や映像が浮かんでいるわけではない、という状態です。

例えば、複雑な人間関係について考えているとき、
「この二人の関係は、こういう構造になっている」
ということが、何となく全体としてわかる。

しかし、それを言葉で説明しようとすると時間がかかる。

あるいは、問題の答えがわかっているのに、
どうやってその答えにたどり着いたのかを説明するのが難しいというのも特徴です。

こうした経験もあります。

認知科学では、知識や概念がどのように表現されているのかについて、

さまざまな研究や議論があります。
したがって、これを独立した一つの思考タイプと断定することはできませんが、
必ずしも鮮明な言葉や画像を伴わずに思考が成立するという点は、重要だと思います。

同じ出来事でも、心の中では違うことが起きている

ここまでの違いを、同じ出来事を例にして整理してみます。
例えば、職場で上司から注意を受けたとします。

言語的
「何を言われたのか」「なぜ注意されたのか」を言葉で整理する
視覚的
上司の顔や、その場の風景が一枚の画像として浮かぶ
動的・映像的
注意を受けるまでの場面が、動画のように再生される
空間的・図式的
上司と自分、周囲の人たちの関係性を図として捉える
数量的・関係モデル
過去の注意の頻度や状況の変化を整理し、今後の展開を予測する
聴覚的
上司の声の調子や、言われた言葉の響きが残る
身体感覚的
胸の圧迫感や喉の詰まりなど、身体の感覚として現れる
抽象的・概念的
具体的な映像や言葉よりも、出来事の意味や構造を把握する

これは、同じ出来事に対して起こり得る反応の例です。
実際には、一人の人が複数の形式を同時に使うこともあります。

また、出来事を経験している最中と、
後から思い出すときとでは、形式が異なることもあります。

心的表象は、その人の性格を決めるものではない

ここで、一つ注意しておきたいことがあります。

心的表象の違いを、そのまま能力や性格の違いとして捉えることはできません。

例えば、言葉で考える人が必ずしも論理的とは限りません。

映像で考える人が、必ずしも芸術的であるとも限りません。

数値やグラフで考える人が、感情を感じにくいということでもありません。

人間の認知には個人差がありますが、
ある一つの形式だけで、その人全体を説明することはできないのです。

また、よく知られている「視覚型」「聴覚型」といった固定的な学習スタイルの分類についても、その型に合わせて教えれば学習効果が高まるという主張には、
十分な科学的根拠がないのではないかなと思っています。

もちろん適正や、理解のしやすさはそれぞれにありますが

学習の時は、映像分野で
人との関わりでは構造で・・と使い分けている方が大多数ではないかと
臨床を通じて感じています。

カウンセラーに自分のことを話すときも
文字で話す人と、構造を感じながら話す人と、映像や体験を感じながら話す人とでは
カウンセラー側の感覚も違ってきます。

大切なのは、人をどれか一つの型に当てはめることではなく、
その人が、今どのような方法で情報を扱っているのかを理解することだと思います。

カウンセリングで、なぜこの違いが大切なのか

私は、ここがとても重要だと感じています。

カウンセリングでは、クライエント様に
体験したことをお話しいただきます。

しかし、その方が実際には映像として体験していることを、
言葉だけで説明しようとすれば、そこには翻訳のような作業が必要になるかもしれません。

反対に、言語的に考える方に対して、
何度も「どんなイメージが浮かびますか」と尋ねても、何も浮かばない場合があります。

身体の感覚として体験している方に、
すぐに理由や意味を説明してもらおうとしても、難しいことがあるでしょう。

そして、数値や関係性を使って考える方にとっては、
出来事をグラフや構造として整理することが、
もっとも自然な理解の方法なのかもしれません。

そう考えると、カウンセリングの中で大切なのは、
単に「何を感じましたか」と尋ねることだけではないように思います。

その人は、今、何を使ってその体験を捉えているのだろう。
言葉なのか。
映像なのか。
身体の感覚なのか。
あるいは、数値や関係性なのか。

その違いに関心を向けることで、
クライエント様がご自身の体験を理解していく方法にも、
さまざまな可能性が生まれてくるのではないではと考えています。

ただし、心的表象の形式だけで診断を判断したり、
記憶の正確さを推定したりすることはできません。

また、特定の形式を使うよう促すことが、
必ずしもその方にとってよいとは限りません。

その人が自然に使っている方法を尊重しながら、
必要に応じて別の方法も試していく。

そうした柔軟さが大切なのだと思います。

そして語りを聴く側のカウンセラーも、どの分野で聞いているのか
画像なのか、文字なのか・・と
そこにも注目して耳を傾けていくことが
とても重要な気がしています。

人間は、同じ世界を同じように経験しているわけではない

私たちは、同じ言葉を使い、同じ景色を見て、
同じ出来事について話しています。

けれど、その出来事が心の中でどのような形を取っているのかは、
人によって異なります。

ある人の頭の中には文章があり、
ある人には風景があり、
ある人には動いている映像があり、
ある人には数値やグラフがある。
そして、何も見えないけれど、確かに理解しているという人もいる。

そう考えると、人間同士がわかり合うということは、
思っている以上に複雑なことなのかもしれません。

自分にとって当たり前の考え方が、相手にとってはまったく当たり前ではない。

けれど、それは、どちらかが間違っているということではないと感じています。

それぞれが、異なる方法で世界を理解しているということなのではと思っています。

私は、カウンセリングを通して、そうした違いに出会うことがあります。

そして、そのたびに、人間の心というものは、
まだまだ知らないことがたくさんあるのだなあ……と思うのです。

私たちは、何を考えているかだけでなく、
何を使って考えているのかも、一人ひとり違うのかもしれません。

その違いを知ることは、相手を理解するためだけでなく、自分自身の心の働きを知ることにもつながっていくのだと思います。