無くても困るし、ありすぎたら溺れる

 

トラウマを負ってしまった、かつての子供たちを見ると
親御さんが『自己愛性(人格)障害』の方だったという方が多いです

 

自己愛性障害の方というのは、等身大の自分を愛せない障害です

そしていつも『愛せる自分というものの妄想に耽り』、『等身大の自分』を嫌悪するという状態です

 

自己愛というのは誰にでもあるものです

しかし、それがバランスを崩し
『愛することができる妄想の自分』が肥大化して

反対に等身大の自分を
心の中で憎悪して、見ないようにする事と
『愛される自分』に執着して
バランスが失われていき、
周りとの調和が取りづらくなっていく『病』でもあります

『愛することのできる自分』というのは妄想です
・・・なので、結局は『他人(自分自身ではない)』

なので結果として『本来の自分』を愛せていないので
『自分を大切にできない』ことから

周りから『取り込む』という症状が出てきます

『何かを手に入れる』
ということで、心のバランスの取れなさを解消しようとするのです

 

スーパーバイザーは
『自己愛はお金のようなものだ』と言います

『無さすぎても生活出来ないし、有りすぎてもバランスが取れなくなって
身動きできなくなり周りを疑心暗鬼で見てしまう』

と言います

 

人は『愛』が無いと心が無くなってしまいます

しかし、周りの人々も『愛』というものを実体として持っている方というのは
とても少ないので

『愛もどき』を貪るしか無いのです

 

ーーーーーーー

 

自己愛が育てられるきっかけとしては
やはり親の『ひとこと』が多いと思われます

例えば『夢(将来何になりたいか)』を小さな頃に尋ねられますが
親の願望と
子供の夢が一致することが功となす場合もあれば
不幸となす場合もあります

大抵の子供は『親が喜んでくれたら嬉しいもの』なので

『自分が〇〇になったら、親が喜ぶんだ・・』と学びます

しかし、親自身も実は『自分自身』を愛せない方々ばかりなので

『出来の良い子供を持つ自分』だったら
『周りから愛される(賞賛される)かもしれない・・・!!』

『子供の夢』を
『自分の渇望を埋めるもの』として捉えるという発想が出てきます

『自分自身を愛せない親』の前に『にんじん』をぶら下げるようなものです

親からしたら、それは大好物🥕。

 

子供の夢に執着する親はかなりの数がいると思われます

私の親は『出来のよい子供』をもてば
周りに自慢できるし、親戚にも偉ぶれる・・と

それはそれは毎日が体罰の『教育虐待』を繰り広げました

『お前は知能が低い』と言い放ち
毎日ドリルやら何やらの山を積み上げ

『これができないうちはご飯食べさせないよ』と

腹を空かせて泣きながらドリルをやる私を横目に
ご飯を食べて酒を飲んでおりました

その時の私の違和感と言ったら凄かった
意味がわからず

『あんたの為にやってるんだからね』
『あんたが可愛いからやってるんだからね』

と言われて叩かれる毎日を送っていくと

寝る時間も削られて殴られて
そして『私が中学に受かりますように』と毎日仏壇を何時間も拝む姿を見ていると

流石に、朦朧としてきます

 

何とか親が満足する中学に入り
親も嬉しそうで

私も『これで親は喜ぶだろう・・』と思っていた矢先に

中学から『入学前にこなすドリル』のようなものを
親が笑いながら、
『今度からこれね』と、どさっと机に置かれた時に

本当に心が壊れた音と言いますか
『ガリ』と言うか
『ガシャン』と音がしたのを覚えています

 

ーーーー『もう親をこれ以上満足させる事ができない』ーーーーーーー

 

それからの私は
次第に荒れ狂い、学校でも問題児として扱われ(今考えればそんなに問題児でもなかっただろうに)

親との離別を図ろうと必死になるのですが

親はこれでもかと言うくらいに
今度は執着してくるのです

 

小さな頃は蹴ったりされて、邪魔だとかご飯を食べさせないとか
舌打ちされたり、お世話も満足にしてなかったのが

今度はものすごい過保護の嵐なのです

門限(乗るバスを指定)
お金
交友関係
持ち物(携帯とか)

を広げさせない

 

とにかく監視下に置きたがり
毎日、私の行動を手帳に書き込み
それを仏壇に備えて拝む、拝む、拝む

挙げ句の果てには私のゴミ箱からのゴミを漁って
自分の押し入れに溜め込み行動を把握する

 

今、冷静に考えて
そんなことをするママ友がいたら・・とか

自分が子供たちに、それだけのことをしたいと思ったか・・?と
考えるのだけれども

私は、まず子供部屋には勝手に入らなかったし
好きなようにさせていたし

何より、そこまで人間を思い通りにしたいと思ったことがない

そしてそんな意志と発想すら湧かない

 

ーーーーーーーーーーー

 

だから親のことを『何が動機となって』ああいう行動をしたのか・・?
と言うことが本当に理解できなかったのです

 

しかし小さなサインは気づかないだけで多々ありました

親はとにかくお喋りでした

これは普通ことだと思っていたのですが
気づいてみたらかなりのお喋りでした

電話をすると長い

しかも内容が『娘が〇〇した』『✖️✖️になった』
などと何故か伝えてしまう

何回も『言わないで』とお願いしたこともほぼほぼ筒抜け。

私の娘が小さな頃に手術した時も
やれ親戚に電話をかけまくり

『お見舞いきたいんだって。いい?』と尋ねられ

小児病棟で重い病気の子供もたくさんいるから
お見舞いは断ってとお願いしたのに

ゾロゾロと押し寄せる親戚
・・顔は興味津々の表情

 

怒り狂って帰ってもらった後に

『断ってとお願いしたよね』と言ったら

『見せるくらいいいじゃん』と言われた時に感じた違和感

・・・『私たちは見せ物なのか?』

ーーーーーーと言うことや

私の幼少期から、私を知っている人たちは
私の見た目の変貌ぶりを驚くのですが

その変貌ぶりを見せびらかしたいのか
やたら集まりに呼びつけるのです

周りの人たちから『変わったねーー』とか『綺麗になって』
などと声をかけられる私を

『でも全然中身は変わってないのよ ほほほ・・』

などと言う

 

そして2人きりになると
『あんた、いい気になるんじゃないわよ』と吐き捨てる

ーーーーーーーーー違和感。

 

これらの行動はチグハグすぎて
意味がわからずに混乱していましたが

『自己愛性障害』と言うことをきちんと実感として理解してから
謎が解けました

 

親自身が『自分を愛せない』。

 

『周りから羨ましがられる自分』なら愛せる(自分で納得できる)ので
子供である私をその都度、その都度
作り替えるわけです

『自分に忠実な子供』を持つ自分
『出来の良い子供』を持つ自分

それなら、周りから羨ましがられて
自分も満たされるような気分になるので

その度に私をバラバラにして、すげ替えて作り直す

親からの、その魔の手が
私の子供たちに伸びてきた時に
私はもう、おかしくなってきておりました

頭痛もひどく(今思えば解離がピークになってきたころ)

孫を、自分のアクセサリーにしようと
あっちだ、こっちだと連れまわし
そして自慢をする

体罰をしないだけマシだったが

もうその頃はその母の暴走を止める気力もありませんでした

幸い、子供たちが(特に娘が)
祖母である私の母と、かなり戦い反抗したと後から知って
ほっとしたのだけれども

 

母親は『自己愛性障害』だったと理解すると

思い出してきた話があります

母親は幼い頃恵まれた家庭で育ったそうです

洋服は季節ごとにお仕立てで作ってもらい

そこの町ではテレビがあるのは自分の家だけで近所の人たちが
家に群がるの・・と
よく嬉しそうに話していたものでした

母親はその頃よく羨ましがられたのでしょう

そしてそこに『自分のアイデンテティ』と『快感』を感じてしまった

『所有している』ということだけを愛された田舎の娘は
それを必死に握りしめて上京したが

もっと自分より『持っている人』をみて

『ではもっとスペックのある夫を・・』
『出来の良い子供を・・』

と所有の鬼になり

しかしそうはうまくいくはずもないく
そして思ったように羨ましがられない上に愛されない(満たされない)からと

鬱憤を晴らす道具として選ばれたのが

『子供』という『所有物』だったのだ

 

しかもそれだけでは飽き足らず
宗教をして『人を救うことで人生のステージを上げる』ことに没頭し

ハイエナのように『不幸そうな人』を探し出す嗅覚には脱帽しました

いつもいつも誰かしらを
宗教に誘っていたのを思い出します

 

『宗教』と『自己愛のバランスの取れなさ』は
とても相性がよく

『神から選ばれちゃった自分』をいつも感じられるのでサイコーらしいです

そして『その教祖を裏切ると地獄に落ちる』と
周りを脅せる免罪符を手に入れられるので快感らしいです

 

ーーーーーー

 

ある程度を満たした子供だった私が
いざ親離れしようと
離れようとした時に

『今までのことを一言謝ってくれたら、それでいい』と申し上げたら

『ゴチャゴチャ言われてよくわからない』と
混乱していたのも何となく察することができる

餓鬼の最中のことなど思い出せないのだ

 

そして何より
私自身のことを考えてくれたことも無く

『子供でどう満たされるか』にしか意識が向かない人だったのだ

すなわち自己愛性障害

 

ーーーーー

 

おそらく母親が見たくない本来の姿は
依存的で嫉妬心が強く強欲
渇望心がすごく、周りに他人を必要とする人

そして食べても食べても満たされない餓鬼

ここまでの存在を、どう子供が助けようとしても

近寄ったら最後、
また食われて噛み砕かれて
おかしな風体につなぎ合わされて

母の自慢話(お食事タイム)の格好のおつまみになってしまうに違いない

医師やスーパーバイザーたちがこぞって
『あの親とは縁を切りなさい』と言ったのも無理はない

 

そういえば親は
『私は死んだら地獄に行くと思う』と自分で言っていたが

 

そうかもね

と思う

 

 

天国だとか地獄だとか、怖いように描かれていますが
私たちが見るに

死後の学校がそれぞれに違うと感じがします

それなりにいいことをした人生を送った人は
もっと学ぶことがあるし

人を傷つけてしまった人は
痛みを学ぶところに行く

というだけだと思います

それぞれの学校の先生たちは『チャンス』をたくさんくれます

人間として生きることの辛さや悲しみをきちんと感じられる人は
ちゃんとしたところの先生がお迎えにきてくれるような気がします

全ての魂が同じ学校に入ると
それはそれで教える先生が大変です

ヤンキーのいる教室に、禅の先生が教えるとなると
なかなかそれは難しい

なので門が違うだけなのかなと

上がって行かれた方々見ていると感じます

 

やはり頑張って生きてこられた方には
船だとか雲に乗った方々がお迎えにきちんとくるのは本当で

悪いヤンキーたちは
厳しめの先生たちがそれなりのお迎えをしてくれます

吸い込むお迎えが多く見られます

心の中を見られるので
いざ見せる時は堂々と見せる(隠さない)ことがポイントだと
スーパーバイザーが言っていたのを思い出します

   

Instagramはじめました カウンセリングルームの様子を よかったらご覧ください

 

↓TOPページへ戻る↓ユークリッド・カウンセリング ご予約・お問い合わせ等はこちら