『福田村事件』というものをご存知でしょうか
関東大震災(9月1日)が起きた時に
震災後の不安な状況の中、流言飛語(デマ)が飛び交いました
それは『朝鮮人が井戸に毒を入れたらしい』『朝鮮人が町に火をつけているらしい』
などのデマでしたが
震災後の日本人たちは
それを否定する『信念』的なものを持ち合わせてはおりませんでした
なぜならその当時の日本人は朝鮮人を『センジン』とよび
街中で見かけたら差別したりいじめていたからです
当時の日本には『穢多 非人』などの差別がありました
当然『部落』などの差別もありました
自分は直接その加害に加わっていなかったとしても
その頃の周りの『差別的な空気』を感じ取り、それと共に生きてきた日本人は
まさに『疑心暗鬼』に取り憑かれました
『復讐されるのではないか・・・!』という恐怖感と共に
出てくる『相手が自分に復讐しようとしているのではないか、陥れようとしているのではないか』
という
『疑心暗鬼』というものは
自分の心の中から生まれる最も恐ろしい鬼の一つです
自分がやってきた加害
そしてそれを見過ごしてきた加害
その空気感の中で過ごしてきた加害
この事件は
色々な本を読むと『群集心理』の怖さなどと書いてありますが
そんな簡単なものではないのではと思っています
そしてそれはカウンセリングでずっと取り組んできたことと繋がっています
1人、1人の心の中にあった鬱積したもの、屈折したもの
恐怖、怒り、嫉妬、傲慢、奢り、などが
その極限な状況になった時に
1人1人の、自分の前にそれぞれに立ち現れる
自分の心の中から立ち上ったものは
自分が普段意識していないもので
でもしっかり自分の心の奥底から出たもので
しかしそれを『自分の自我』と思い込み
そんな自分を保つために
人は凶行に走るのだけれども
そしてその恐怖感とそれを打ち消したいがための
おかしな高揚感が伝播して
一斉に日本中では、朝鮮人狩りが行われたのです
その数は6000人に及んだと言います
公式の数がそれだったので
もっと人知れず殺された人は多かったはずです
実際にこの福田村事件でも、殺された人の何人かは利根川に流されたと言います
さて
どうしてこの福田村事件というものが有名かと言われると
それは『朝鮮人だと思ったら日本人を虐殺してしまった』という事件だったからです
いやいや、と思います
朝鮮人、いいわゆる外国の人でさえ
殺したらいけないよね・・と思うが
それに対しての後世の考察などがあまりにも少ない上に
それが『日本人だった・・!』から、やっと事件として取り扱われるという
法治国家?日本のチグハグさがありますが
それにしても、その福田村事件がこの度映画になっておりまして
先日それを観に行きました
またも新宿に夕方から出かけて行ったのですが
ミニシアターではありましたがかなりの人数が入っておりました
その名もズバリ『福田村事件』であります
ネタバレというより、歴史の教科書にも載ってるところはあるのでそのまま
ブログを書かせていただくのですが
(なので映画を観たい方はこの先ネタバレ注意です)
映画は、ものすごく史実に忠実に描かれていたような気がします
実際の虐殺のシーンでは、映画だと取り囲んだ人々の数はせいぜい100人足らずで
撮られておりましたが
実際は200人もの人々が取り囲んでの虐殺だったという
なんとなく福田村事件というのは
夜に起きた事件なのでは・・と想像していたが
実際それはまだ日が明るい日中に行われたと知り、それはひどく動揺した私がおりました
当時の福田村事件の村長が必死に止めるのをも
軍人やら自警団やらが盛り上がり
農具やら竹槍やらで無惨な殺し方をしたという
本当に日本人かどうかを確かめるための
『証明書』のようなものを警察に照合しに行くまで
『絶対に手を出してはならない』と止める人たちもいたというが
異常な盛り上がりを成したと言われるところが
映画にもあって、なんだか考えてしまった
これは、群集心理だけの問題ではないような気がする
しかもその群集心理というものは
1人1人の『心の鬼』のようなものが立ち上って
それを為すというか
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この映画の秀逸だなあと思ったのは
その事件が起こるまでの
暗く差別的で、そして洗脳じみた当時の背景 そして当時の人々の心の動き がきちんと描かれているところです
私たちが、よくテーマとして上がる『家父長制』がきちんと描かれていて
正直、本当に反吐がでました
村の寄り合いのようなもので
男たちは宴席で酒を飲み
女たちは給仕をする
そして立ち上がりの時に尻を触られれる
女は男に操をたてさせられる
軍人やら、自警団やら、これから戦争に行こうとしている若者やらは
『お国を守る!』ということを連呼し酒を飲み
それを誉(ほまれ)とする
男たちは醜悪なプライドと
ちょうど国からばら撒かれた『正義』を遂行するということにで保てるメンツと
そして、そもそも
持ち合わせた『人を仕切りたい』というコントロール欲求とが合間見えるところで
実際は、女衆は男を軽蔑し
どちらかというと
実際に寄り添ってくれる男のもとに走る
それは不貞やら、なんやらと
よく聞く昔の日本の縮図みたいなものが描かれていて
そして男たちのお互いの
人から馬鹿にされたりする鬱屈した怒りなどが
まったく関係のないところで
暴発して、そして今回の映画のような虐殺につながるというのも
今の日本にもよくあることで
よくできた映画だなあという感想であります
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で、私ごとではありますが
やはりカウンセリングの資料として観に行った映画なので
どう受け止めたかということなのだけれども
クライエント様のケースで
『家系のトラウマ』というものがあります
それは、先祖が『悪いこと』したということで恨まれていることから
為す障碍みたいなものです
先祖ではないですが
実際に
一番古い『怨念』で800年前のものにお会いしたことがあります
(この次元においてはですけれども)
今ではその800年前の怨念の方も(有名な方だったので)
なんとなく今の社会を見れる余裕が出てきたのか
仲良く霊として生活しているらしいですが
何を言いたいかというと
恨みというのは割と残る・・ということ
でも今回、この映画をみて
やはり『恨む方にも理由がある』よなあという原点に戻ります
私がスーパーバイザーから見込まれたのは
この『恨みの方々』をどう昇華させるかということを
元々知っていたのか、知らずにやっていたこと
つまり
教わらずにできたからでした
だから、この昇華させる時(人によっては成仏とかとも言いますが、全てが仏になるということもないなあというのがリアル)
大事になるのが
いかに、その怨念や恨みを
こちらが理解するかなのです
感情移入するわけでもなく
ただ、本当に理解する
今回はそういう点で
『恨みをもつ方』の哀しみや絶望なども描かれていて、よくよく思うことが多かったです
たくさん
表には出ていない『哀しみ』があると思っています
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