SNSの悪魔

人は
『公平』『平等』を求めているようで

実は『不平等』や『不公平』を求めているのかな・・と思う時がある

自分が『不利』な立場に立っているときは
『平等』『公平』を声高に叫ぶが

優れ始めると
自分の『優位性』を誇示し始めることで生きがいを感じ始める 

・・・途端に自分が優位な『不平等』を周りにアピールし始める

つまり人との差異を見せつけて快感を得ようとする

私の中で
これは小さい頃から謎で

人は『平等』が好みなのか 『不平等』だと生きがいを感じるのか

難しい問題だと思っていました

どなたでもたくさんの意見を伺いたいなと思うところであります

公平や平等が過ぎると
人々は堕落するし

不平等は妬みを産む

人間って難しいです

資本主義がいいのか
社会主義がいいのか

ってところなのかもしれませんね

どちらも『〜過ぎる』のは崩壊するので
どっちつかずのちょうどいいバランスを彷徨うくらいがいいのかもしれません

ただ思うのだけど
人より優位になる・・
恵まれる・・

と、言ったものを
周りにアピールするのは『たしなみ』がないのかなと思うのが正直なところ

人の欲望を刺激するような言動は
快感を感じるのかもしれないけれど

本当の意味での『いいね』はもらえないような気がします

私は高之瀬にもよく言われるのですが
『自己顕示欲』があまり無い

人に認められたい も どうでもいい 

静かに自分の感覚を楽しめれば日々は満足です  

3食食べられて
寒くない場所で眠られていれば
結構恵まれているなと思うほう 

昔は多少の『認められたい』はあったのだと思うのだけど

カウンセリングをしていると世間を見る体勢を少し斜に構えてしまうのでしょうか

何故、『自己顕示欲』にあまり興味が無いかと言うと
本気で他人を『いいね』と思っている人ってあまり居ないのですよ

嫉妬を掻き立てる事にも興味がない

争いの種は好物ではないです

本気で物事に『いいね』と思える人は
『いいなあ』という目標をすぐ持てる人です  

なのですぐ『なりたい自分』に向かえる 

巷では どちらかというと
少し薄ら笑いというか 嘲りというか
そんなニュアンスの『いいね』を持つ人が多く感じるので 
何となく距離はとりたくなる

そういえばTwitterにはTwitterの『魔物』というか『霊』がいて

YouTubeにはYouTubeの『怨霊』がいて

FacebookにはFacebookの『悪魔』がいます

ちょっと、それぞれ具合が違って

Twitterは『嘲りの魔物』がいる感じだし

YouTubeには『欲望の地縛霊』がいて

Facebookには『裁きの悪魔』がいるような感じがします

どれも見過ぎて
まに受け過ぎると

それらの魑魅魍魎に取り憑かれてしまいがちになります

全然、魑魅魍魎に染まって無い方もお見受けするのだけど
その方々は
『軸がしっかりしている』方々が多くています

人から『いいね』もしくは『いいなあ』と思われることを捨てると
人の言葉に一喜一憂しなくなります

   

Instagramはじめました カウンセリングルームの様子を よかったらご覧ください

 

↓TOPページへ戻る↓ユークリッド・カウンセリング ご予約・お問い合わせ等はこちら